「卵」を例にした象徴性

」と聞いて、あなたは何をイメージしたり、思ったりしますか?

余談ですが、この前、ある記事で、「卵」と「玉子」の違いを記していました。

ちなみにそれは、調理前と調理後の「たまご」の違いとなっています。

ですから「たまご」と発音しても、上記の意味では二種類の「たまご」があるということになります。

さらに言えば、「卵」と言っても、一般的には鶏の卵でしょうが、串料理や八宝菜を作る時にはうずらの卵を使う時が多いですので、もしかしたら、ある人にとっては「うずら」の卵をイメージしたかもしれません。

「玉子」のほうでも、いわゆる玉子料理はそれこそ山のようにありますから、「玉子」となると、かなりの種類が存在するでしょう。

まあ、これは生物的な意味での「たまご」と、食べるための料理の食材としての「たまご」で言っていますが、ここで精神的イメージ詩的表現としての「たまご」、いわゆる「例え」としての「たまご」も考えてみましょう。

すると「医者の卵」とか「弁護士の卵」とか、まだ完成していない、発展途上の存在としての表現が思い浮かびます。

あるいは、何が生まれるか(飛び出るか)わからない未知の可能性を示すかもしれません。

さらには、卵には「殻」がありますので、これがブロックや既成概念ということになって、それを打ち破るというようなイメージもできます。まさに「殻破り」の例えですね。

もっと想像してみしまょう。

卵には大小があったり、柄のあったりするものもあります。さきほどの「可能性」の例えともリンクさせると、「いろいろな個性としての可能性、バラエティさ」「子供たち、あるいは大人に眠っているの潜在能力」というような意味も出そうですね。

卵の構造まで行くと、黄身と白身、先述した「殻」もあります。簡単に見ても、この3部構造が見えますし、ゆで卵にした時の薄皮まで入れると、4部構造かもしれません。

ここから私たち自体の霊的ともいえる体の構造を例えることもできますし、単純に見た目と中身は違うことの表現もできるでしょう。

卵は割れやすいですから、大切に扱うべきものというイメージも出ます。また、転がっていくという感じもありますので、転々とするというランダムな移動性も思い浮かぶかもしれません。

機能的に考えると、生命のもとでもあり、栄養の良さもありますから、まさに滋養強壮、元気やパワーの源、エネルギーと見ることも可能です。

ざっと挙げただけでも、これほど「卵」のイメージや意味が出てきます。おそらく人によってはまだまだ出てくるでしょう。

このほか、実際に卵を扱っている業者さんや、卵生動物を見たり、育てたりしている人、卵の研究者の方などでは、特別な思いとイメージもあると思います。

長々と「卵」のことを書いてきましたが、別に卵論議や卵への愛着を語ろうとしていたわけではありません。(笑)

ここで述べたような「卵」のイメージや「例え」こそが、象徴表現だと言いたかったわけです。つまり、象徴とは何かを卵を通して皆さんに見てもらったのです。

このうち、いろいろな例えの中でも、多くの人がイメージするような「例え」と、それこそ卵を扱う専門の方のイメージというような個別的な「例え」があります。

広義の意味の「象徴」ではどちらも確かに「象徴」ですが、象徴というものも個人の経験や蓄積などによって変わることがあり、人によっては異なってくる場合があります。しかしながら、それはまた、どんなに個性的表現ではあっても、「卵」から出た象徴ということでは同じなのです。

この、同じものから皆が広く一般にイメージする「象徴」と、人によって意味の違う「象徴」とを、うまく区別しながらも統合させることが重要です。

タロットを読む上でもこのことは大切です。なぜならタロットは「象徴」だからです。

ちなみにマルセイユタロットでは、「卵」の象徴(絵柄)はいろいろなところで出てきます。

卵としては全部同じですが、よく見ると形や描かれている位置などが違います。ひとつとして実は同じものはありません。

そこが「卵」の象徴性の全体性と個別性の意味にもつながるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top