絶対と絶対。ふたつの「絶対」

年末と言うことで、変則的になりますが、今年最後のブログとなります。今年も拙ブログをお読みいただきありがとうございました。

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では記事に移ります。

タロットは占いという認識が一般的に高いですので、どちらか言えば、タロットは未来(の選択)がどうなるのかという点に使うと思われがちです。

しかし、ここでもずっと述べていますように、タロットはそういったアテモノのツールではありません。だからこそ、過去を観察することにも使えるのです。

過去の事柄をタロットが示していると見て、自分を整理したり、認識を新たにしたりするための道具として使うわけです。

このようなことを行っていると、結局、周りや人ではなく、自分視点が大切だと気がついてきます。

それを一言で言うのならば、「絶対視点」と表現してもいいでしょう。すなわち他人や周囲などと比較せず、あくまで自分がどうなのか、自分がどう成長したのかという観点で物事を見るということです。

私たちの不幸は、実はほかと比較することで始まっていると言われます。ほかの人より不足している、劣っている、損をしている、ほかの状況より深刻である、間違っている、バランスがおかしい・・・という具合です。

ここで言う「ほか」や「ほかの人」とはいったい何を・誰を指しているのでしょうか? 意外に漠然とした抽象的な「ほか」というイメージ的な総体によるのではないでしょうか?

それならば、その、言わば実体なき集合体のようなイメージは、自分自身の幻想や思い込みではないかと疑うこともできます。

逆に、「○○さんと比べて・・」というような、非常に限定された「ほかの人」という場合もあるかもしれません。

これにしても、特定の人やモノと限定されているわけですから、考えてみれば、その人を比較対象として見ることから脱却して客観的になれば、案外あなたの不幸(な気持ち)はすぐに消失する可能性もあるのです。限定的なので、取り組みも具体的にできます。

またこのケースでは、その人以外の、もっと別の大きな対象として相対的比較対象を広げると、問題に思わなくなることがあります。

いずれにしても、あまり他人やほかのものと比べると、自分の気持ち・精神状態が落ち着かなくなるのは確かです。さらに他人との比較が煽られると、消費や思想の植えつけに利用されやすくもなります。

ですから、人は人、自分は自分という「自分に対してフォーカスする」ことを常に心がけると、気持ちは楽になりやすいのです。この点では、よい意味での「わがまま状態」を作る、自分を通すと言い換えてもよいでしょう。

結局、相対比較ではなく、自分との比較をすればよいということになります。人や周囲がどうのというより、「自分が成長したかどうか」「自分はどうしたいのか」 この点で見ていくだけでも、ずいぶんと世界は変わります。すなわち、自分という絶対評価の視点です。

ここで「絶対」という言葉が出たので、ついでにお話しておきますと、心や行動では、反対にこの「絶対」という思いはなるべく抱かない方が生き方としては楽になります。

「絶対にこうしなければならない」「絶対にこの人しかいない」「絶対にダメ」とか、絶対という言葉をつけてしまうと、自分を縛ることになるわけです。

縛られると、当たり前ですが、思考と行動が限定されます。またそこに縛りという規則も生まれていますので、その規則に反する人や事柄は「許せない」「相容れない」「排除すべし」ということになりがちです。

もちろんよいこともあります。

それは「縛り」の良い面を見ればいいのです。縛ることで制約が生まれ、自分を鍛えることができますし、制限された環境で、逆に創造性がより発揮されることになる場合もあります。あと、ルールに従うだけの判断ですから、思考自体は単純で選択は楽になります。

ただ、やはり、総体的には自分を押し込め、つらくなる生き方になってしまうことが多いように思います。

ということで、思い方や行動では、「絶対」はなるべくなくしたほうがよいでしょう。

まとめますと、比較の際は「自分」という絶対で見て、思考や行動では「絶対」を止め、広く相対的にいろいろなことを見たり、認めたりしていく方向が望ましいということです。

ふたつの「絶対」 覚えておいて損はないでしょう。

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