理屈で理解するタイプの人とタロット

私のところにタロットを習いに来る方々は、私自身がそうなのだからでしょうが(^_^;)、結構「頭で理解したい」タイプの人が少なくありません。

極端な人になりますと、「スピリチュアル」という言葉を使うのも好きではないとか、ましてや「霊感タロット」なんてもってのほかという傾向の人もいます。まあ、私も霊感タロットみたいな言葉は好きではありませんが。(苦笑)

と言いつつも、タロットに関わる以上、どうしてもスピリチュアルであり、いわゆる「霊感」かどうかは別としても直感やインスピレーション、目に見えない心の領域は扱うことになります。

それでも「頭」「理屈」において、そういう世界を少しでも理解しておきたい、とらえ直したいという思いがあるわけですね。

精神世界や占いに興味を持たれる方は、やはり心や目に見えているものだけではない裏の世界に関心があり、そしてそれを伝える多くの方も、心の解放、心でわかること(感情・感性・直感での把握)、腑に落ちることの大切さを語られます。

場合によっては理屈とか頭で考えていることは一切無駄であり、それに従う必要はないと言われる方もいます。

私もタロットの世界におりますので、その言い分もわかりますし、心でわかることの重要さ、自分の感性・本質(自分らしさ)の把握と表現が幸せな生活を送る意味でも欠かせないと思っています。

ただその過程においては、「頭」でわかる必要のあるタイプの人がいること、もしくはその段階というものが必要であることは意外にあまり言われていません。

男性の場合は、むしろそれしか本質に行き着く道程・方法がないとさえ言えます。(最終的には違いますが)

女性でも、自分の中に男性性が潜在していますから、その男性性を満たすことでは、心の構造、目に見えないもののとらえ方などで「頭」の理解が必要なこともあります。

反対に男性は自分の中の女性性のためには、理屈を超えねばならないことがあります。簡単な言い方をすれば、女性(性)に対して降参するということです。(笑)

話が逸れましたが、とにかく、全員とは言いませんが、たとえタロットのようなものを扱ううえでも、心だけではなく、頭(理屈)で落とし込まないとわかりづらい人がいるのは確かです。

こういう人は、どうしても頭でわからないと動けない、自分に信用をおかすことができないとなるのです。結局は頭を通した感情の世界でもあるのが面白いところです。人は感情が納得しないと、葛藤を起こすか、嘘をついたまま抑圧するかになって、のちのち問題となります。

損得や数値、理論であっても、それに合意(納得)するかどうかは意識の問題であり、そこに感情は無視できないものです。

ということで、頭での理解は、さきほど「過程」と表現したように、あくまでタロット理解のプロセスであり、当たり前ですが、これが全てではありません。言い方は悪いですが、腑に落ちるための方便みたいなものなのです。

というと、論理性は感性に劣るのかといえば、実はそうではなく、高い知性というものは高度な論理性を伴い、低い感性(好き嫌いレベルのようなもの)をはるかに凌駕して、適切な選択を与えてくれます。

タロットの、特に小アルカナに流れる四大元素論を理解していけば、心と頭は優劣関係のものではなく、ともに本当の知性・智慧に行き着くための相互扶助センサーだと言えます。

それでも、もともとの気質・タイプ、あるいは後天的に形成されたパーソナリティ(性格)によって、理屈で理解する過程をふまえたほうがよい人と、直感的に心でとらえたほうがわかりやすい人という違いはあります。

私は前者の傾向を持つので、そういう人の気持ち・精神構造がわかるのです。

こういう人でも、タロットをずっとやっていますと、いずれ頭で考えていた理屈がガシャーン(笑)と壊れるような衝撃を覚えるようになります。

そして壊れたガラスの向こうに、が見えるようなります。

これを言葉で表現しようとすると、最初は「何を言っているのかわからない」ものとなりますが(今でもそうですよね(笑))、それはあなたがずっと頭で考え続けたから行き着いた、ある本質(の別次元)なのです。

これは他人には説明しづらいものではありますが(言葉や論理では説明しづらい)、「直観」として、あなた自身が心でストンと理解できたのと同じ状態となっています。

すると今までの考察してきた思考(理屈)も、一瞬で過去も現在も未来もネットワークが張り巡らされたような感じとなり、「そういうことだったのか!」と無数の論理のつながりが「心」に瞬間的に来ます。

言わば、一種の小さな悟り状態と言えましょう。

これを繰り替えすと、理屈のスピードも速くなりますし、心と理屈が対立することが少なくなり、「感じるために理屈があり」逆に、「理屈のために感じがある」という相互交流になってきます。

しかも、これはとても気持ちのよい状態なのです。「心豊かで知的な」自分みたいなことになるからです。

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