その恋には意味があります。

人の悩み事にはいいろな種類があり、キリもないくらいかもしれませんが、やはり恋愛のことは感情的には一番割り切りにくい類のものかもしれません。

マルセイユタロットには「恋人」というカードがあり、いわば、一番恋愛を象徴しているカードと言えますが、この図柄を見れば、それもよくわかります。

以前タロットをもとにした「恋愛」セミナーというものを開催したことがあるのですが、形を変えてまたやってみてもいいかなと思っています。

これは別に恋愛テクニックとかを教えるものではありません。(それはもっと得意な方がいらっしゃるでしょう)

恋愛の本質を見ることで、恋愛を通した自己成長を表現したり、自己を認識したりするためのセミナーです。

パートナーシップについても含まれるので、結婚されている人や、恋愛の相談を受ける方にも参考になる部分はあるでしょう。希望者があるようでしたら、本当に考えてみたいと思います。

さて、話を戻しますが、恋愛の悩み・相談は、このように「感情」がメインですので、論理や理屈でアドバイスしても始まらないことがあります。

究極的にいえば、恋している人は聞く耳を持たないと思ってもいいかもしれません。

ですから、相談を受ける者としては、「どうこうしなさい」ということはあまり意味がなく、話を聴く、感情に寄り添うということがポイントになってきます。

それと、恋愛自体はどのようなものであれ、いいも悪いもありません。そこに人間世界のルールや規則、常識・価値観が入ることによって、その恋愛の良し悪しが決まってきます。

もちろんだからと言っても、ストーカーとか犯罪的なものまで行き過ぎる恋心は問題ではありますが、恋の本質自体は善悪はないと言えるでしょう。

このように恋愛の本質では「いい・悪い」はないのですが、マルセイユタロット的にいえば、霊的成長の観点では恋愛は「善きもの」と見ることもできます。(その理由はマルセイユタロットの秘伝と、「恋人」カートに隠された意味にあります)

ですから、恋愛をすればどんな結果に終わっても、あなたにとっては善いものです。

恋愛の最中は冷静な判断や観察はしにくいものなので、ある意味翻弄されたり、喜怒哀楽の劇場に放り投げられたりしても仕方のないところがあります。

「冷静になれ」「よく見極めろ」というほうが無理なのです。

従って恋愛は感情を経験する装置と機会であり、平たく言えば、楽しむもの、または苦しむものと言えます。

もし冷静にすることがあると言えば、恋愛とは激しい波の中にいるようなもの、感情が動くもの、それが恋愛だと割り切る視点くらいのものです。

「感情にふり回されないようにしなさい」とか、「相手の○○をよく見て恋愛しなさい」とかいう人は、メチャクチャ相手のことを好きになったり、嫌いになったりするような境地までの経験がないか、その時のことを忘れているのです。

スピリチュアルな勉強をしていても、また社会的に立派な仕事や立場にいても、恋愛は人を変えたり迷わせたり、別の感覚や判断をもたらそうとするものです。(このことはマルセイユタロットでの「恋人」の位置を見れば明白です)

前にも書きましたが、私から言えることは、恋愛の苦しみにある人は、あなたが恋愛できていること(相手に届かなくても、好きになるという感情が抱けていること)、恋という炎を燃やせるすばらしい能力をもっていること、どんな状況であれ、愛せている(大きな愛ではなくても)自分がいるのを思うことです。

これは一見、恋に恋するような感じといえますが、恋している自分をほめる、すばらしいと思うことというのは、やはり違います。恋の現実(嬉しくなったり、悩んだり苦しんだりする実際の感覚)を知りながら、恋をした自分を認めてあげるという感じです。

恋が成就するしないに関わらず、その恋が何だったのかはあとで必ずわかります。今無理に回答を求めなくてもよいです。

それでも、あなたを見守る天使的な存在はあり、その恋をもたらせたのは、実はその天使的存在からのプレゼントであったことは、あとで気がつくことになります。

恋から逃げず、とこんとつきあうのもひとつの方法ですし、苦しさを共有してくれる相談者を持つのもよいです。

その恋には、あなたの成長させるが蒔かれています。それを発見できるかは、経験後のあなたの態度と取り組みにかかってきます。

そう、実は大切なのは、恋の最中より、その前と、特に後のことなのです。

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