理屈と神秘性をタロットに見ること。
最初にお知らせです。
4月からのカルチャーセンターにおけるマルセイユタロット講座開始にあたり、一日(と言っても一時間くらいですが)体験会が行われます。京都文化センター
では3/18(火)、よみうり文化センター神戸
では3/21(木)です。参加してみたい方は、各センターに直接お問い合せください。
さて、マルセイユタロットで人や自分をリーディングしていると、いろいろと不思議なことを経験します。
その中の1つで、よくあるのが、リーディングしたことによって希望していたことの実現が早くなったり、問題解決が早まったりすることがあるということです。
これは結構、タロット講座を受講された皆さんからもご報告いただいていますし、受講期間中でも、実践トレーニングの次の月とかで、結果からわかることもあります。
たとえその時(タロットを展開した時)はあまりわからなかったとしても、あとで見ると、やはりそのままタロットが示していたということもよくあります。
これは「あと付け解釈」という心理的な偏りの見方もあるにはありますが、それでも不思議と思えるくらいピッタリのカードが出ていることを実感します。もちろんあとではなく、タロットリーディングしている最中に出たカードのあまりの自分とのリンク性に、その場で驚く場合もしばしばです。
ここにタロットのすごさを感じるのですね。常識や理屈を超えた何かがタロットにはあるのではないかと。
ただ、中には、わけがわからないまま不思議さに驚いて、何でも信じ込んでしまうのは愚かではないかという人もいらっしゃるでしょう。ただの偶然とか迷信に過ぎないと。
はい、私もそのような見方でタロットを最初は見ていたことがありますし、現在でも、何でも起こっている事そのままを何の疑いもなく信じてしまうことは、盲信的態度であり、危険でもあると思っています。
従って、「不思議」と思えることがあるのなら、それを「なぜなのか?」という探究心・好奇心をもって解き明かそうという姿勢は必要だと考えています。よい意味での疑いの目を持つことです。
タロットにおいてもそうした視点をもって見ています。
ただ、一方で神秘性といいますか、単なる不思議さを超えた凄み、驚嘆、感激ということが起こるものも、その感動を覚えさせる「力」があるのだと見ることもできます。
神秘・不思議を感じて、心を動かす(動かされる)その経験自体と、動かされた対象の奥にある「魂」のような何かにふれることは、単純に情動的な意味でもすばらしいことではないかと思うのです。(情動があるのがすじらしいというのは、例えればモノクロがカラフルになるような体験であるからです)
心の震えとでも言いましょうか、それが起こる体験は、人には無駄でないどころか、豊かさの源泉とつながるものと私は思っています。
人は「感動」「情動」によって、味気ないものに味をまさしく添えるのです。機械的にただ生きるだけが面白いとは誰もが思わないでしょう。
理屈や論理をもって探究していく視点と、神秘や不思議に心動かされる体験、このふたつが人を本当の意味で均衡に保ち、成長と豊かさ(経済的な豊かさだけの意味ではありません)もたらせるものではないかと想像できるのです。
マルセイユタロットはそのふたつ(理知的な探究心と感動)を見ることができます。(正しくは、自分のタロットに対する見方・考え方が決めます)
特に論理的思考も醸成することができるのは、マルセイユタロットが綿密で合理的な象徴体系を持っているがゆえです。
話が神秘性と論理性のことになりましたが、最初に戻って、タロットを展開すると「実現が早くなる」「問題解決が早まる」ということについて、ただ「不思議だなあ・・」と言っているのではなく、今度は「理屈的」に検証してみることにしましょう。
その記事は次回にて。
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