タロットの扱いにおける二面(二元)
タロットをどのように扱うか、それは意外と大切な問題です。
この場合の「扱う」とは、タロットの活用のことではなく、どのようにタロットと接するかということです。
タロットは紙の上に絵柄が載っている、まさに「カード」です。
といういことは、当たり前ですが、まずはモノであり物質だということです。
それもさきほど述べたように材質が「紙」なので、プラスチックとか金属などとは違い、痛みやすいのです。
カードによってはコーティングがしっかりされているものもあって、見た目はさほど痛まないように感じるのですが、やはり長い間使用していると、角のあたりが曲がってきたり、絵柄の表面が薄くなったり(塗料がはげたり)します。
当たり前ですが、自分専門(自分だけのために使う人)で、あまりタロットを使わない人は、そのきれいさは長期間保てます。逆に、対人向けにリーディングや占いをたくさん行う人は、かなり早いペースで痛みが来ます。プロの人などは顕著でしょう。
教える先生によっては、タロットはあまり換えない(新品に取り替えない)ほうがよい言われる方もおられるかもしれませんが(その理由もあるにはあります、それについてはまた別の機会に)、私は痛めば新しいものに交換することをおすすめしています。
やはりくたくたになったタロットは、自分であっても、リーディングされるクライアントにとっても、見た目やさわり心地がよくなく、気分も悪くなるからです。
いずれにしても、痛みやすいタロットは、物理的に丁寧に扱い、使ったあとは布でふくなど、クリーニングもしっかり行っておく必要があります。
それからタロットはもうひとつ、精神的・霊的に扱わなくてはならない部分があります。これを信じるか信じないかは個人の自由ですが、私はタロットには物理的な部分以外の、目に見えない表現の世界があると思っています。
それは例えば、カードをきれいにしても、ドロッとした重さを感じたり、反対に見た目は何ともないのに、以前よりクリアーになっているのを感じたりするからです。ほかにも人によってはタロットの意志を感じたり、霊的な存在のコンタクトが入るようなこともあったりします。(タロットの精霊の存在)
「そんなものは気分の問題や思い込みに過ぎない」という人もいるでしょう。ただ、そう言い張る人はタロットは真剣にされないほうがいいと思います。あまり向いていないとはっきり言っておきましょう。
少なくとも精神世界に関心や興味が抱ける人でないと、タロットを扱うことが難しくなります。
もし純粋に物質・モノとしてカードを扱いたければ、カードを自作したり、トランプや気に入った絵のついたカードで、物事を投影してみるとよいと思います。それでも心理的な使い方までは可能でしょう。(ただし実はトランプやほかのカードにあっても、精神世界の表現は存在します)
ということで、「タロットの扱い」ということになりますと、モノとして大切にする部分と、目に見えない分野も表現している「霊的な存在」として扱う部分とのふたつの意味があるわけです。
後者は最初は難しいかもしれませんが、精神の表現を見る(「見る」ことは難しいのですが)ためには、信じることが最初の段階となってくるのです。
信じるというより、そういう世界があることを受け入れると言ったほうがよいでしょうか。
逆説的になるのですが、信じること・受け入れることで、向こう側の世界は半ば形のように現れてくるのです。(実際ではなく、自分の精神に)
ますます混乱するかもしれませんが、あなたがそれを創り上げると言ってもいいかもしれません。物理的なモノとしてのカードは現実にすでに存在し、誰であっても見ること・感じる(五感で)ことが可能です。
しかし、霊的・精神的カードの世界は、誰もがわかるわけではなく、さらにいうならば、個別的(それぞれ扱う人によって個性が出る)世界でもあります。あなたが感じようとしなければ、その世界は扉を滅多に開くことはありません。(何もしないと、最初は「ない世界」に等しいということ)
逆にあなたが信じ、感じようとすれば、あなたのレベルに応じて扉は開閉(閉まることもあるのが重要です)されます。
世の中は二元(ふたつの質の表現)で現れる世界です。実際やモノの世界と、精神や心の世界のふたつでひとつです。タロットは如実にそれが表れる「霊物」両面の世界なのです。
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