ホドロフスキー氏の上映会とタロットリーディング

4/22、東京新橋にて、カルト映画の巨匠にして、タロット研究家・セラピストとしても知られている「アレハンドロ・ホドロフスキー氏」の新作映画上映会に行って参りました。

雨模様の中、会場前には早くも人だかり、聞くところによりますとチケットは即日完売であったとか。御年80歳を超える監督と作品への人気は、まだまだ監督同様、衰えるところを知らないという感じです。

私がこれに参加したのも、もちろん映画を見たいというのもありましたが、この日、上映のあとに監督によるタロットリーディングがなされるということでありましたので、この理由も大でした。私は監督が復刻したマルセイユタロットを使っているからでもあります。

さて、そのタロットリーディングがどのようなものであったのかは、例えばこのような記事で書かれていますので、http://www.webdice.jp/dice/detail/4178/
 興味があったらほかにも検索されてご覧いただければと思います。

ただ、タロットリーディングの解説そのものはあまりないでしょう。会場で、監督や作品に興味はあっても、マルセイユタロットを学ばれている人は少なかったのではと想像できるからです。

ということで、私宮岡が、自分の推測も少し入れながら、稚拙ではありますが、監督のタロットリーディングについて、解説したいと思います。

とはいえ、当日は合計4つの質問についてタロットリーディングされましたが、ひとつひとつ全部解説すると膨大な量になりますので、ひとつだけここでご紹介しておきます。

お一人、「髪を伸ばしたほうがよいか、短くしたままがよいか?」という女性の方の質問がありました。

確か、この方は最初に「デートで告白すべきかどうか?」という質問をされていたと思いますが、監督に「告白すればいいじゃないか」(笑)と、あっさりタロットリーディングの前に、現実的な答えを言われていました。

そのあとに女性は思い直して、「じゃ、髪はどうすれば・・短くしたほうがいいのか、伸ばしたほうがいいのか」という質問になったと記憶しています。

流れからすれば、聞いてた人は、ああまた、監督からどうせ、「どちらでもいいでしょう、あなたが決めなさい」とか言われるんじゃないかと想像したと思います。

ところが、監督は「それはいい質問ですね」と、興味を持たれてタロットを引くことを指示しました。

ちなみにこの日用意されたタロット(の仕掛け)は、22人の人間が仮面(顔が見えないように)をかぶり、巨大タロットを裏向きにもって舞台に登場するというもので(苦笑)、監督の思いつきではなく、主催者側のエンターテイメント的な発想だったようです。ま、とにかく、でっかいタロットなわけです。(^^;)

22枚のカードというのは、「大アルカナ」という、タロットでは重要なパートを占めるカードグループのことを言います。これだけでもほぼリーディングや占いをすることは可能です。(伝統的なタロットは全部で78枚あります)

さて、続きです。

質問者の女性によるカード選択が始まりました。スリーカード(最初に三枚引く)の手法を取れ入れ、三枚を選ぶように言う監督。

 そして、裏向きに巨大な人間タロットたちが並びました。左から一枚ずつカードを表にしていきます。

 まず出たのは「教皇」(私は「法皇」と呼んでいるカードですので、これから「法皇」と表記します)、この時点で「おおっ」と私は声を出してしまいました。監督がなぜ、彼女の「髪の毛の長短の問題」の質問に反応したのかが、およそ想像がついてきたからです。

 やはり監督は、「このカードは父親を示します」と語られました。

 「法皇」のカードは、宗教的な権威を誇示するかのように、正当で(教えを守ることの)厳しい印象を与えるカードです。(保護する優しい部分もあります)彼女の父親がそうであったのではないかとタロットと監督は言うのです。

 続いて残り二枚を返していきます。真ん中は「運命の輪」、その右は「女教皇」(私は「斎王」と呼んでいますから「斎王」と表記します)でした。監督はこのカードは「修道女」だと言いました。

 カードの暗号を知るものは、「法皇」と「斎王」が特別な関係にあるカードであることは知っており、監督も、この女性のカード(「斎王」)が、彼女の母親であることを示唆していました。

 修道女でもある(敬虔で受容性のある控えな印象を与える)この「斎王」が母親だとすると、父「法皇」の権威のもと、母親は従順に従い、よきパートナーであろうと努めていたことが伺えます。反面、その奥には激しいものが渦巻いているのも、斎王の深い意味と象徴を知っていれば、読み取れることです。

 監督はこのリーディングがイベントであることもあり、多くは語りませんでしたが、母親とご本人(質問者の女性)が、父を取り合っている(隠喩的・象徴的・無意識的にであり、実際にそうしていたとかではありません)ようなことを言われていました。

 つまり父にかわいがられるためには、母親と同様にするか、母親よりも修道女らしくふるまう必要があったわけです。父もそうした女性が好みであり、それを娘に期待してきた、幻想のイメージを押しつけてきたと考えることができます。もっといえば、この父と父の母親(質問者からすると祖母)との関係も、「法皇」と「斎王」との関係に近いものがあったことが想像できるのです。

 こういった無意識の争い・葛藤のために、彼女は大人の女性になることに、おそらくどこかでおびえていた(おびえている)と想像できます。父にかわいがられる娘であること、隠喩的には妻であることを守るためです。そうしたほうが家庭では安心感がでます。しかし、逆に解放も望んでいて、母を超え、父の幻想からも脱却したいという無意識の欲求も起こっていることでしょう。

 だからこそ、ここで「運命の輪」が真ん中で出たのです。「運命の輪」は運命が回転(展開)していく様を象徴し、「法皇」と「斎王」の間(両親との狭間)で、自分の運命を回転(流してきた)させてきた質問者自身も象徴すると同時に、この輪から脱却する機会・タイミングを得ていることも示唆しています。

 監督は、さらにカードを引くように指示しました。

 私はここでおそらくどちらかのカードが出ると予想しました。それは「女帝」か「星」でした。なぜならば、彼女が「斎王」であるイメージから抜けるためには、別のイメージと象徴の女性カードが必要だからです。(必ずしも女性ではなくても、それを示唆する別のカード)

 すると、ここで出たカードは、なんと「女帝」!でした。

 カードはきちんと、わかりやすく(カードの象徴を知っていたらですが)答えて(応えて)くれます。

 「女帝」は大人の現実的女性を意味し、斎王が修道女のように髪の毛を隠しているのに対し、「女帝」は絵柄を見ればわかりますが、金髪の髪をなびかせています。またこのカードには金星の象徴と関連させられるものもあり、つまりはヴィーナス的な意味もあるわけです。

 監督は「女帝」の持つ杖(王笏)の底(の方向)が、女性の部分を示していることも指摘し、ユーモアも交えながら、「大人の女性はいろいろな髪が伸びるものだ」と語りました。つまりはセクシャルなパワー(子供をつくることもできる大人の女性の力)の象徴による、自分自身(相談者)の大人への成長と権力の獲得(親からの支配の脱却)の必要性をカードから読み取ったわけです。

 ここでは書きませんが、「女帝」にはほかにも大人の女性を示唆する象徴、さらには創造性やクリエティブを意味する象徴など、たくさんあります。それは受動的な「斎王」と対比されるものです。

 ほかにも数に注目すると、出たカードや、それぞれに意味が浮かび上がってきますが、これも省略します。

 結局、監督が質問者の髪の毛の問題に反応したのは、当初(デートの告白問題の時)から、彼女の成長に関わる課題が出ていることを推察し、親とその上の世代から受け継がれてきた無意識のある関係性が、彼女に迷いを与えていることを想像して、髪の毛の質問が出た時にタロットリーディングに入った(たとえ監督が意図していなくても、タロットリーディングにおいてはそういうことが起こります)と考えられます。

 「髪の毛を短くすればいいのか、伸ばせばいいのか」という一見単純な質問の中に、彼女の重要な成長と発展のための鍵が隠されていたわけです。それはまたタロットの象徴を知る者がタロットをリーディングすることで、浮上してくるものでもあります。

 すでにカードを表に開く前から監督は、「二枚が(人間タロットの人で)髪の長い女性、一枚は短い人に持たれいますよね?」と指摘していたことからも、この髪の毛の質問がとても重要なものであることを監督は見抜いていたわけです。

 タロットを使い、現代の道具を利用しながら古代の呪術師のような心理的治療を試みるホドロフスキー氏の手法は、彼自身「サイコマジック」と読んでいる画期的で印象的なセラピーです。

 その一端は、今回のイベントの最終質問者の問題(上記の髪の毛の人とは別)に見ることができましたが、本来は神聖な儀式として執り行う必要があるので、実際はもっと厳粛で、参加者と施術者がそのことによりリアリティを感じるものだと思います。

 映画も含めて、かなり滑稽で、笑ってしまうようなシーンが多いと思った人が少なくないようでしたが、ユーモアとしてわざとしていたところ以外、笑いどころかむしろ心打たれ、泣けるシーンのほうが多かったように私は感じています。

 つまり、象徴的なシーンに対して、自分がリアリティを感じるかどうかの違いが、笑いになるか、真剣なものと感じるかの違いであり、後者でなければ意味がないとさえ言えます。(笑って、リラックスした、楽しくなったという効果は別として)

 タロットの象徴を知ってる者では、今回の監督の映画もタロットリーディングも、まったく別のものを見ていたと言ってもいいでしょう。

 私にとってはアレハンドロ・ホドロフスキー氏とマルセイユタロット、双方の偉大さを改めて感じた時間でした。タロットをやっていて本当に良かったと思います。

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