奇跡はない世界

よく、「一瞬であなたは変われる」という人がいます。

そういうこともあるのかもしれませんし、そのような体験をされた人もいらっしゃるでしょう。

ただ、私は本当の意味での「一瞬で変わる」というようなことはないのではないかと考えています。

つまり奇跡的な変化はないということです。

もっと言えば、この世の中には奇跡は起こらないと私は今は思っています。

「えっ、タロットなんかやっていて、その考えはないでしょう、奇跡を信じないなんて味気なさ過ぎます!」と言う方がおられるかもしれません。(苦笑)

まあ、話を聞いてください。(^_^;)

例えば、さきほど言った「一瞬の変化」

これも人のことだけではなく、一瞬に画面が切り替わったり、外の様子が突然に変わるというようなことは実際にあります。

しかし、映像画面にしても、人の気分にしても、本当に一瞬に変わったのでしょうか? 

確かに時間的には一瞬の変化のように見えますが、そのプロセスは一瞬のものとは限りません。

画面を変化させるためにはプログラムの存在もあれば、システムや電気の流れなど、複雑な仕組みが構築されて初めて、見た目の画像の変化が生じます。

気分にしても、脳内の電気信号や感情の流れ、肉体反応等、いろいろなものが複合して、人体の仕組みの結果として「変わった」のです。

そこにはシステマチックなものや組織的なものが必ずあります

ということは、「一瞬」という時間の感覚はあるものの、そこに至るまでの見えない時間や積み重ねも、やはり同時に存在しているわけで、これを想定すると、一瞬で変わることは見た目にはあっても、理由なく一瞬で変わることはありえないと思ってしまうわけです。

まあ、あくまで個人的な考えに過ぎないので、その点はご了承くださぃ。

この考え方を推し進めると、結局、世の中にまったくの「奇跡」「ミラクル」はないのだと見ることもできます。

つまり、そこには何らかの理由やシステムがあるととらえ、それが今の自分の能力や感性・知性では見ることができないために、奇跡のように感じてしまうのだということです。

もし、何かのことで突然自分が変わったとか、自分が良くなったというようなことがあっても、たぶんそこに至るまでのあなたが気がついていない蓄積(もしかすると現世的なもの以外のことや、他人や周囲・世界の影響もあるかもしれません)や理由があり、そのタイミングと、ブレイクする効果的な方法が合致したということかもしれないのです。

これは実は重要な示唆を秘めています。そして、今日、私が言いたかったことでもあります。

それは、あなたの経験は決して無駄でないということであり、たとえ苦しいこと・つらいこと・悲しいこと・不幸に思える体験があったとしても、実はそれ自体があなたに新たな変化をもたらすための糧(素地・蓄積・変容の宝物)になっているということなのです。

マイナスと思えることの積み重ねがあるからこそ、プラスに転じる力となっているわけなのです。

ですから、あとはタイミングとプラスに転じるための情報や方法を得るだけです。

溜まったものが多いほど、その反転するエネルギーは莫大になり、あなたに大きな気づきをもたらせるでしょう。

修行者が自らにあえて負荷をかける理由はいろいろとあると思いますが、ひとつにはこうした反転エネルギーを蓄積しているとも考えられます。

ただ、ずっと同じ状態のままを信じ込んでしまうと、反転する機会を今生では失い、別の人生の機会か、あるいは今世でほかの人に刺激を与えたり、気づきを無意識のうちに与える役割として、自分自身は気がつかず(変わらず)、一生が終わってしまうかもしれません。

今の時代、たくさんの人が反転する方法や手段を伝えてくれています。情報とその適切な選択は、人や次元を変えます。

奇跡は厳密な意味ではないのかもしれませんが、あなたが意識を変えて、エネルギーを反転する方向に歩み出した時、その時の自分にはわからないかもしれませんが、見た目の現象的には、“奇跡的”なことが起きるのです。(自分では「奇跡」だと感じることが起こる)

まさに、「奇跡なき奇跡」が生じます。言い換えれば、すべては理由があるから奇跡ではないけれども、あなた自身には奇跡と思えることが起きるということです。

それはまた神性的な力の発動という意味の、「奇蹟」にもつながることなのです。

ちなみに、マルセイユタロットの「力」はこのようなことを象徴しているとも言えます。

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