頑張る、頑張らない。
最近は「頑張らない」ことをよしとする人が増えてきた感じがしますね。
ブログやSNSでも、そうしたことを主張する人も多くなった気がします。
いわば「頑張らない教」といったところでしょうか。
一方、相変わらず、頑張って・頑張って生きてしまう人も少なくありません。頑張らないと結果は出ない、成長できないという趣旨です。こちらは「頑張る教」ですね。
まさしく、世は「頑張らない教」VS「頑張る教」という様相を呈しています。(笑)
ただ、これは当たり前ですが、どちらがよくてどちらが悪いというものでもないと思います。
重要なのは、何を頑張り、何を頑張らないのかの区別と基準、そしてバランスだと言えましょう。
頑張らないのがいいという人でも、努力しなくていいよとか、一生懸命やることを否定しているわけではないと思います。
また頑張ることをよしという人でも、心身を故障させてまで、死ぬまで頑張れと言っているのではないでしょう。
頑張る・頑張らないで重要なことは、それが本当に自分のためとなっているかどうかという点です。
誰かや何かの洗脳で頑張ることで報われると思わされていないか、その頑張りは人のためになっていても、その人のためというのが純粋にその人のためではなく、その人に認められて自己の存在と評価を高める(安心させる)という他者評価が基準になっていないかというところをチェックすべきでしょう。
外の見返りを求める努力や頑張りは、それを得られなかった時の無力感と、たとえ得たとしても際限のない拡大欲求のために、いつまでも内に安心・安寧を得られることがないという万年欠乏・飢餓感に苛まされます。
その頑張りは、まさに自分のためであると自覚できて初めて正当な頑張りになると思います。
それから、世の中は二元のエネルギーの循環とバランスであることは、マルセイユタロットにも説かれているところです。
集中と解放、緊張(収縮)と弛緩、制限と自由・・・あらゆるふたつの相反するエネルギーがバランスとして存在するのがこの世界です。
どちらか一方だけで終わることは、どの局面も、誰も、どの世界でも不可能です。
頑張らないことを決めると、その瞬間、頑張ることがどこかで発生する仕組みになります(それが望ましい頑張りか、望ましくない頑張りかは別です)し、その反対もあります。(「頑張らない」ということを維持するための、「頑張る」状態が生まれることもあります)
もしそれ(すべてがバランス状態であること)に気か付かない時は、自分の中の幻想(アンバランス)を修正するために、身体を壊したり、対人関係や仕事に問題を生じたり、お金に困ったり、何らかのアンバランス・問題を強く感じて意識させられたりして、自らの幻想を解くための事態が発生します。
今まで頑張り過ぎた人は、そのアンバランス表現として、自分の窮屈さを感じたり、心身のトラブルとして出たり、パートナー問題として続いたりします。
頑張らなさ過ぎの人は、お金に困ったり、友人や知人に恵まれなかったり、簡単に誘惑に引っかかったりします。
頑張らないのがいいと言っても、力を入れたり、集中したり、努力したりするということが悪いわけではないことは理解する必要があります。頑張らないことと、楽に逃げること・何もしないこととは全く別です。
無駄な頑張りや、自分のためにならない頑張り、人や世のための頑張りでも、結局見返りや自分を承認してもらうためにやってしまうものは問題だということなのです。
ですから、ここぞという時、これは純粋に自分のため、家族のため、組織や会社のため、社会のため、地球や宇宙のためにやらなくてはならないことは、やはりその時その時に訪れ、あるタイミングでは頑張らないといけないことも当然あります。
頑張ることで結果を出し、鍛えられたり、今までの限界を突破したりすることも可能になります。
要は頑張る(あるいは頑張らない)ということの、ポイント・方向性・理由のバランスの問題です。
また結果と過程(プロセス)、どちらも重要ですが、結果が求められる時と、過程が重要視される時とでは、やはり場面や状況が異なります。これもふたつのエネルギーの表現なのです。
ですから、頑張る教の信者の人は、たとえ結果が出なかったとしても、「頑張った分だけは評価してくれ」「結果と同じくらいの価値のもの(端的にお金や見返り)をくれ」と言う人がいます。(反対に結果こそすべてという人もいます)
これは注文した商品ができていないのに、「商品の製作は頑張ったんだから、お金ください」と言っているようなものです。やはり頑張った見返りを望んでいるのです。
反対に、頑張らない教の人の中には、積み重ねや経験によって人間の成長や幅ができ、蓄積そのものが結果の中にも目に見えない力として入っていることがわかっていない人がいます。(これも逆に結果には意味がない、過程のほうが大切と決め過ぎる人もいます)
苦労した人の言葉に厚みと重みがあるのはそのためです。(かと言って、苦労しなければならないというのではなく、自分に圧力をかけることはバランス的にも必ずあって、重要だと言っているのです)
集中と収縮(圧力)が、物事のある力を何倍にも凝縮させるのです。爆発や飛躍のためには圧縮が不可欠です。
ということで、頑張る・頑張らないは、適切に場面に応じて選択して行き(生き)ましょうということです。
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