憑依について。

先日の27日に久しぶりにタロットのお話とリーディングを体験する会をしました。

知っている方も入っていただいて、何か勉強会みたいな雰囲気にもなりましたが、参加していただいた皆様、ありがとうございました。

毎回ですが、特に何かを話そうという取り決めはしていないのですが(マルセイユタロットに流れる教義は説明します)、その時に応じて勝手に話したいことが出るようです。今回は二元の統合がメインでしたね。

リーディングにおいては、女帝のカードもよく出ました。きっと女帝に関するテーマが、参加者の皆さんに隠されていたのでしょう。名刺も皆さんへのメッセージですよ。

それともうひとつお知らせです。受講生・修了生用のメルマガを本日、配信しております。メルマガ配信スタンド移行後ですので、届いていない人もいるかもしれず、登録している人はチェックしてみてくださいね。

さて、今回は何を書こうかなと思っていると、「依」という言葉が浮かんできました。

これについて語れというわけですかな。

まず言っておきますが、私は霊感師や心霊治療家でもないですし、見えないものが見えるというたちでもありません。

人間としてはごくごく普通の感覚の人物です。

ただタロットをしているだけあって、そういう見えない世界のことを探究したり、ふれたりする機会は少なからずあり、次第に感性は以前より高くなってきたと思えます。

あと、何も「憑依」といっても、必ずしも霊的なものとして考えていないということは、述べておかないといけません。

言い方を換えれば、自分の中の別人格が現れると言ってもよいのが「憑依」だと、ひとつには思っています。

そう書くと、憑依とは多重人格障害のことではないのかという意見もあるでしょうが、多くのケースでは、かなりその可能性は高いと私は見ています。

ただし、そうとも言い切れないのがあるのも、私の中では存在します。

いずれにしても、「憑依」というものを定義するのなら、通常の自分、今まで社会的に多くの人に見せてきた、冷静に判断できる自分の状態ではない人格が現れる状態と言えるかもしれません。

その憑依するものが別に存在するのか、自分の中にもともとあったものが拡大したり、何かのきっかけで急激に入れ替わったりするのかはわかりません。

しかしながら、もし見えない他の存在というものがあるとすれば、単独で存在している何かが取り憑くというより(それも考えられますが)、私の観察では、結構、一種のエネルギーグループを形成している存在があって、そこと同調した場合に、グループから派遣されるような、あるいは磁石のように自分が引き寄せるような形で、自分の今までのエネルギー性質が変化してしまうことが、ケースとして多いのでないかと思っています。

これが現実世界での表現(エネルギーグループ)となれば、信仰集団とか、同じ意志や思想を持つグループ、何か強い意図を抱いている人たちだと言えます。

いわば、集団の思い・想念がエネルギー体として人格化したものとも言えますし、逆に考えれば、もともとあったある種のエネルギー性質が、人の集団という場を得たことで、活動(憑依)できる寄る代や拠り所をもったということも言えるでしょう。

実は、憑依という言い方をすればネガティブな感じを受けますが、何かに取って代わるとか、今までとは異なる状態に(一時的に)変化するということならば、ポジティブな憑依もあると考えられます。

ですから、その集団の意図が、特に自分や他人・社会にとって悪影響がない限りは、よい憑依みたいな形で、活き活きとした自分になることもできると想像できます。

まあ、おそらく、誰でも何らかの軽い憑依状態は毎日あり、ただ基本となる主人格まで影響を及ぼすに至っていないものなので、日常に支障を来すことはないと言えます。

タロットでいえば、タロットカードの枚数分の精霊(エネルギー性質)がおり、その憑依を受けてリーディングしていることもあると考えられます。

それがいいか悪いかは、簡単には判断がつきません。

結局、現実や常識を大幅に逸脱し、戻って来られない状態、コントロールが自分でできない状態がまずいと考えられるでしょう。

自分でコントロールできない場合は、もはや人格的に人から見ておかしな状態とか、今までのその人とは別人のようになっていることもあるので、すぐにわかると思います。(自分ではわからづらいのが問題)

その状態は、本来のその人ではありませんから(ある意味、別のその人でもあるのですが)、そういう人と対した時、他人のように思って感情的に切り離すことも必要になる場合があります。

安易に変わりたい願望を抱き続けたり、パワースポットなどと言って煽られて、やたらと場所と心をを移動させたり、特殊なグループや信仰集団に過度にのめり込んだりすると、自己コントロールができない憑依(されている状態)となることがあります。

自分に自信を持つ(自尊心を持つ)ということは、心理的な意味でも大切ですが、この悪い意味での憑依にならないようにするためにも、重要なのです。

自分軸がフラフラとしていると、やはり憑かれやすくなるわけで、また反対に異常に尊大になって、えらそーになっていると、これまた同様の存在と同調して憑依を受けやすくなるでしょう。

さきほど、タロットにおいても憑依と考えられることがあると言いましたが、反対に憑依を防御することもタロットをやっていると強くなる気がします。

それはシステムとして見ると、自分の内的人格を発見し、認識する作業があるからです。

つまり、一度自分をばらして(解体して)、再統合するということです。

その過程で別人格を危険のないように見ますので、自分というものを客観視して、逆に強く柔軟に自らを規定することができるようになってくるのです。

漫画・アニメ的に言えば、憑依を受けようとすると、タロットの象徴的カードを通して自らが人格を分散させ、存在を希薄にします。

そのため憑依側からすれば拠り所や憑依するものがあまりなく、影響が与えにくくなります。

そうしたところ(相手が去ったところ)で、再び自分を統合して戻すみたいな感じです。

あと、タロットの精霊自体が守護的なものとなる場合もあります。

とはいえ、タロットに使われてしまうようになるのも問題なのです。

危険な憑依は、自分の自信を失ったり、病気であったり、経済的不安が強くあったり、恋愛等で感情の波が激しく動く時だったり、ダジャレ的ではありますが、「ツカレ(疲れ)たり」した時など、まさに不安や恐れを抱く時に、現れやすく同調しやすくなります。

今・ここ・自分というものを実感できたり、戻ることのできたりする方法や場所、技術、または友人や相談者を、普段から持っておくことも、保険の意味ではよいでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top