経年と人生の逆転(反転)

8月になりましたね。

ちょっとお知らせです。

先月、渋谷のアップリンクさんで行われました、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「リアリティのダンス」上映会と、氏の使うマルセイユタロットについて語る会前回の模様はこんな感じです
)が、今度は京都(映画館・京都みなみ会館)で開催されることになったようです。

トークをされるのは、同じく、京都のカフェ・オパール
店主で、マルセイユタロットリーダーの小川トモコさんです。

マルセイユタロットに関心のある方、ホドロフスキー監督が好きな関西の方は、是非参加してみてください。

イベントの詳細についてはこちら。

http://kyoto-minamikaikan.jp/archives/16635

さて、記事に移ります。

思えば、私も今年で50歳(誕生日は11月後半)になります。

ほんと、えー年で(笑)、年下の妻からは、「あんた、もうすぐシニア割引使える年齢やね、どこか行く時は、ちゃんとチェックしといてね」と言われます。(^_^;)

40代、ミドルエイジクライシスから続く後半として、50代も危機が訪れる年齢と言います。

まあ、これまで私は何度か危機がありましたが、やはりうつ病と神経症になって、ほとんど宙に浮いたような時期(あるいは、底に張り付いたような時期)が一番の危機だったと言えるかもしれません。

とはいえ、それでもほかの人に比べ、私など大した危機も迎えておらず、中途半端な人間だと自覚しております。

昔に比べて、今はやはり全体的に年の取り方が遅いと言いますか、悪く言えば未熟なままに進んでいる気がします。私も例に漏れず・・でしょう。

ですが、そうは言っても、人は必ず年を取り、老います

マルセイユタロットでは、人や物事の成長を示す過程が描かれていますが、それを改めて観察してみますと、意外にも絵柄的には、あまり孤独を示すようなカードは少ないと言えます。

単独の人物は多いのですが、よく見ると、そうでもないのです。動物が描かれていたり、見ようによってはほかの人であったりするものが発見できます。

しかし、全体の構成から見てみますと、大きくわけて3つのグループと段階があります。

そのひとつのグループでは、明らかに孤独とその時期による変容が示されています。

さらに観察すると、結局ふたつ、「自立」と「共生」のバランスに分けられることに気がつきます。

もっともカードは象徴なので、一枚のカードに、どちらの意味もとれる場合があるのがタロットの難しいところではあります。

ともあれ、タロットの図から、人の成長には、ほかの人といる時期と孤独な時期、自立と共生の両方が必要ではあるのがわかります。

そして自立の中でも二集類あり、物理的(経済的)・現実的・固定的な自立と、精神的・理想的・可変的な自立が示されているのが面白いのです。

つまり、私はたちは形の上で自立することと、心の上で自立すること、ふたつが求められるのと同時に、多くの人がいても束縛があり、反対に孤独でも自由という矛盾するような世界を認識(経験)して、本当の意味で自らを自立・解放させていくことが示唆されているのだと読み取れます。

そこで年齢の話になりますが、年を取ってくると、物理的・身体的なことがいろいろと問題となってきます。

要は誰でも体の自由が利かなくなってくるわけです。

ということは、若い頃は体の自由は利くけれども、束縛の多いと感じる世界の経験があり、それはある意味、反対の状況ではあるものの、老いの予行演習でもあると見えます。

なぜなら、今度は実際に束縛される身体になるからです。

簡単に言えば、束縛(枠)の中で、いかに精神を自由に羽ばたかせることができるかが試されているということです。

精神的な意味での、重力からの解放を目指すと言ってもいいでしょう。

ところで今は「好きなことをする」「自分に正直になる」ブームみたいなところがあり、自分に素直になれば幸せになれるということがたくさんの人からお話されています。

それはかなり確かなことがあると私も思っています。

けれども、そのような観点と行動も大切ではありますが、現実や物理・身体的問題も年を取ってくれば顕著になってきます。

好きなことをやろうとしてもやれない、自分の正直な思いと行動が、機能的にブロックされてしまうこともあるわけです。(表現しづらくなる)

そのため、もうひとつ、規則やルールの中でも自由になる心の方法や状態を、なるべく実践していくとよいのではないかと考えています。

例えば誰もいなくて、車もほとんど通らない状態で、信号をきちんと守って青になって渡る。無理矢理やっているのではなく、自然に楽しんで。

本当は道路交通法からして、それが正しい渡り方ですが、無人や車が皆無に近い状態で、そんなにまで信号を遵守する人もまれではないかと思います。

かたくなに守るような人は、むしろ、守りすぎるがこそ、自分を型にはめ過ぎたり、守っている人=自分はいい人アピールしていて、うざかったり、本当は信号無視したいのに自分に偽って、自分とは違う自分になっていたりして、自分を苦しめていることもあります。

私の言いたいのは、そういう、ルールを絶対に守りなさいとか、くそまじめになれ(笑)、ということではありません。

物理的身体的制約がかかってくる状況に対して、前倒しで心の(自由を感じる)トレーニングをしていく機会を意識するということなのです。

そしてそれは単純に老後の備えというのではなく、霊肉統合(スピリチュアリティ向上)のトレーニングにもなるのではないかとタロット的に述べています。

若い人がやる型破り的なこと、ルールや規則を無視して「オレかっこいい」というのは、簡単なことです。

しかし、ルールや規則を守りながら逸脱せず、本人は自由さを感じているというのはなかなか難しいものです。

物理的には自分の行動自体は世の中のルールを超えないのですが、超えているようにほかの人も感じる(何か飄々としている、世間を超越した人のように感じる)というものでしょうか。

鍵となるカード(マルセイユタロット)は「吊るし」だと私は思っています。

世の中を反転したとらえ方をするため、私たちは年を取りますし、年齢が上がると、今までとは逆の思考や行動(制限も含む)にもなっていくわけです。

それこそが、先にも言いましたように、自己成長、本当の自立(それは本当の共生と同意義)の過程と言えるのです。

中高年の人は、人生を逆転させて行き(生き)ましょう。

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