常識と常識外 一般人の覚醒

マルセイユタロットでいえば、気づくこと、いえ気がつかなければならないことは、カードの数だけあると言えます。

なぜならば、タロットが世界や宇宙の象徴だと考えられるからです。

カードは重要なパートで22枚、全体では78枚もありますから、少なく見積もっても22、全部では78もの気づきが必要なことになります。

しかもタロットは象徴なので、厳密にはこの数で収まるものではありません。

従って、ひとつやふたつ気付いたからと言って、やはり次の気づきのための葛藤や悩み、疑問、カウンター、アンチが起こってくるのが普通だと思えます。

「ああ、これですべてわかった、気付いた」「もう絶対ずっと幸せ~」なんてことは一時的にはあるかもしれませんが、おそらく幻想だと私は考えています。

ただし、マルセイユタロットをはじめ、古代の象徴体系を見ていくと、ある種の真っ当な気づき(覚醒といってもよい)のプロセス・過程があり、それから逸れていなければ、ある段階に達した到達感・境地というのはあるとも思っています。(先があることがたとえわかっていたとしても)

気づきや覚醒のための重要なカードは、マルセイユタロットにおいては、まずは「愚者」だと言えます。

ともかくも「愚者」になることが鍵を握ります。

簡単にいえば「常識からはずれていくこと」を意味しますが、とはいえ、まったく非常識になれとか、バカな行動を取らなくてはならないとか、そいうことでもありません。

言葉で表せば簡単ですが、あなたの過去から現在における(時には未来も)「常識を疑え」ということになろうかと思います。

何度も言いますが、「常識を疑う」ということは、窓ガラス壊したり、信号無視したりしてバイクで暴走して、「オレかっこいい」という日常の規則やルールを破った自分に悦に入る、自分は人とは違うんだと傲慢になるという意味ではありません。

それでもよいケースもあるにはありますが、これは逆効果なのです。

人とは違って目立ったことをすれば常識外の人間になって、常識を疑った私はかっこいい、成功したというような気持ちになりますが、それこそが罠というか大きな仕組みの中のことでもあります。

非常識な存在があって常識より面白くなり、さらに、その非常識な者が、より大きな常識の世界の貢献者となるからです。

何を言っているのかわからないかもしれませんが、みんなが同じで同じ方法でないとうまく行かないとなっていたら、まさに完璧に動きのない世界になってしまいます。

しかし一見、合意のルールや規則・社会からはずれた考えや行動でも、存在として際立つという抜け道のようなものを残しておくと、それはそれで高度な意味で完璧で完全な世界と言えます。

いわば、孫悟空がこの世の果てまで行って「やったぞ!」と得意気に話しても、実はお釈迦様の手の平で踊っていたに過ぎないというニュアンスに近いことです。お釈迦様からしたら、孫悟空も常識の存在です。

孫悟空のような、一般レベルの常識では許されないような存在でも、大きな意味での「常識」の世界からすれば許容される存在なのです。

もっといえば、常識があれば必ず非常識があり、非常識は一度多くの人に認識されると、その瞬間常識になり、同時にその世界(常識の世界)は拡大するというものです。

つまり、はぐれ者、異端者も常識を拡大させるために意図した役割を演じさせられていることになります。だから、変わったことをして成功したり、目立ったりしたところで、それは常識外という常識でもあるのです。

まあ、それがやりたい人はやればいいでしょうし、自分が気がついていなくても、そういう役割になる人は必ずどんな世界でも、いつの時代でもいるものです。適性とか、役割として選ばれた人(自分で選ぶことも可能ですが)と言えましょう。

ただし、全員がそうはならないのが世の常です。

では不良や異端者、革命者などになれない、一般人、本当の常識人、冒険をする勇気や意気地のない人たち(私もそうですよ(^_^;))はどうればよいのでしょうか?

それについては、また次の記事で書きたいと思います。

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