マルセイユタロット そして「13」
私はずっとマルセイユタロットを扱い、教えても来ましたが、最近、とみに感じるのは、このタロットに出会う縁の不思議さや深さです。
個人的にはマルセイユタロットは、「タロット」という名前がついていますが、世間一般の思う「タロット」という代物とはまったく違うものだと感じています。
ですから、何か別の名前をつけたいくらいのものなのです。
そして、このマルセイユタロットを本格的に学びたいという人も、実はすごく限られているような気もしてきました。
これまではマルセイユタロットの叡智を幅広く、皆さんにお伝えしたいという気持ちがありましたが、前述したように、実はマルセイユタロットはそういうものではなくて、ゲームとしての体裁は別としまして、もともと口伝や秘儀として伝えられてきたこともあり、ご縁というものを大切にした、狭く深い形での浸透が求められるのではないかと思ってくきたのです。
ところで、マルセイユタロットには「13」(正式にはローマ数字)という数を持つ、名前のない大アルカナのカードがあります。
一般的にはこの数を持つ同じポジションのカードは「死神」と呼ばれ、嫌悪されがちなのですが、そもそもそういう名称自体が、マルセイユタロットから見た場合は誤解を生じているように思えます。
それはともかく、この「13」のカードの象徴のひとつに、「究極や本質が残るまで削ぎ落としていく」というものがあります。原初や無に近づけると言ってもいいでしょう。
その過程では姿・形(スタイル)思考、これまでの信念も変えていく、変わっていくことも当然考えられます。
この作業は、簡単に言えば、それまでの自分の否定であり、もっと強い言い方をすれば、自己の破壊(解体)であり、(これまでの)自分を殺すことでもあります。
それまではむしろ、自分の肯定、今年流行った言葉でいえば、「ありのままの自分」を認めていく過程を通過していたわけですが、この「13」で象徴されるプロセスでは、それさえも疑い、否定し、破壊しなくてはいけないこともあるという大変厳しい作業になってきます。
「ありのままの自分」「自分をついに見つけた」と思っていたものが、この作業によって、実はまだ奥があった、いや、無駄な自分を演じていた(しかしそれは必要なプロセスでもあります)ということに気がついてくるのです。
自分だけではなく、周囲に対する世界観さえ変容することになり、かなりの混乱も迎えます。
「13」の前の、それまでの作業では、自分を見つけた喜び、自分は生きていていいんだという自己肯定感を持つことができます。
それはそれで大変重要なことであり、まずはその実感が必要です。
しかし、さらに改革を進めて行けば、突如物事や思考は反転し(マルセイユタロットでは「吊るし」で象徴される)、今度は自己否定につながり、とてもつらい暗い部分に突入します。
そうして、真に自分が必要なもの、自分の奥にあった輝きが現れてきます。
それはまるで凝縮され磨かれ、蒸留されて、浄化の過程を経て純粋物が抽出されたかのように、本当に大切なものが見えてくる感覚でしょう。
その時、自分は今までとは違った状態と喜びを経験するはずです。それは、かつての喜びとは比較にならない次元のものだと思います。
マルセイユタロットを学ぶ縁は、この「13」過程も意識したものとなります。
従って、今後は、本当にこのタロットの叡智を必要とされる方、このタロットと出会い、学びを深めたい方に、これまで以上にご縁の意味を思い、今までもそうでしたが、さらに心を込めて伝えていきたいと思います。
入り口にはいろいろな形はありますが、このタロットと縁のある方は、きっとどこかで出会えることになると思っております。
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