自分が信じたものの力

スピリチュアルな世界では、自分の信じた通りに自分が世界を創造するという説があります。

私自身は、そう思う部分と、全部がそうとも言い切れない部分もあると考えています。

何事も極端にひとつのことで説明仕切れないという立場なのですが、原理としては究極的にはありうる話だとも思っています。

あくまで究極的に・・ということなので、現実の表現レベルで見るとなかなか難しく、たとえ原理的にそうであっても、そう気づけない仕組みもあり、ストレートに表されるような仕掛けにはなっていないと見ています。

しかしながら、心理的にも、信じることは自分の価値観に反映されますので、信じたものの世界でありたい、信じた形になってほしいという思いから、信じたものをデータとして切り取って見てしまうということはあると思えます。

そうなると、自分の世界観がイコール実際の世界とはいえないまでも、世界そのものに近くなってしまうこともあるでしょう。

もしこれをタロットとか占い・セラピーの技術の世界まで適用すると、自分の信じた技術や世界観がそのまま力にもなるということです。

逆にいえば、自分の信じないものは効果も出にくく当たりにくいですし、自分がその技法を提供しても、他人を納得させることは難しいと言えます。

つまりは自分が信頼し、確信を持てば持つほど、人への影響力を持つということです。

セラピーや占いの技術が未熟だから人を癒せない、鑑定できないという場合ももちろんありますが、提供する自分自身がまだそれに対して信頼を覚えていない、確信が持てないということもあるのです。

まあ、経験不足・技量不足だからこそ、まだ十分に確信に至らないという、当たり前のリンクもあるわけですが。

誰がやっても普遍的に、または同じ再現性の効果があるというのであれば、かなりその技法は客観性と科学性を持ちますが、心の世界を扱うものでは、目に見えない分野だけに、なかなかそうはいかないのが現実です。

従って、どうしても信じること、というのが鍵となってくるのです。

信じるためには、自分がその技法やツールに対して、興味があったり、好きであったり、愛があったりすることが必要でしょう。

それらがなくても信じることはできますが、興味がなかったり、嫌いなものだったりするものに対して、なかなか信頼を置くことは難しいはずです。

要するに、人様に何か提供するもので、影響を及ぼすものには、自分の中でそれに対する厚い信頼や愛があると効果が出やすい(力を持ちやすい)ということです。

そういうことでは、対象(技法やツール)と自分との相性も無視できません。

「好きこそものの上手なれ」といわれるように、学んだり、身につけたりする過程で、ワクワクしたり、やっていて楽しいと思えたり、喜びを感じたりする気持ちがとても重要です。

もちろんその過程で苦しみや困難さもあるでしょうが、苦痛ばかり感じる、違和感ばかり覚えるというのでは、信頼と愛をそれに対して向けることもできず、結局、力を得ることもできにくくなります。

私の場合もマルセイユタロットが好きというのがもともとあり、これを信じる気持ちがとても強いので、マルセイユタロットが効果的な力を持つとも言えますし、その世界(マルセイユタロットが示す世界)が納得できるようなものを自分に見せてくれる状況になっているとも言えます。

自分が信じたものがその世界になるというわけでもありますが、もうひとつの考えとして、自分がその対象の表す世界を信じる事を選択するという縁、自分の中にあるそれを引きつける何かとの相性もあるということであり、そう思うと、信じるものとの出会いもなかなか興味深いわけです。

さて、あなたはどんなものと出会い、その世界を信じることになるでしょうか。

あなたが信じたものは、自分のパワーを仮託したもの(分身)となり、自分や人を変えるツールともなるのです。

昔の武士の刀も物理的な切れ味や刀術によるところもあると思いますが、おそらくそのような持ち主の信頼による力の発揮もあったかと想像できます。

まるで漫画やアニメみたいな話ではありますが、タロットを扱っていると、そういうこともあると実際に思えてきます。

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