マルセイユタロットの小アルカナの図像

マルセイユタロットを手にした時、もしほかのタロット種を知っている人ならば、小アルカナと言われるパート(数カードの組)がとても記号的なことに気がつくことでしょう。

今、日本で巷に流布しているメジャータロットといえば、ウェイト版、通称ライダー版のタロットで、このタロットはすべてに絵柄がついています。

言ってみれば、大アルカナと小アルカナの見た目、区別がない感じとなります。(よく見れば、結構あるのですが)

ところがマルセイユタロットは、大アルカナと小アルカナ、中でも数カードの組はまるで違うもののように普通は思うはずです。

どちらかというと、小アルカナは私たち日本人がイメージする「トランプ」に近いと感じるでしょう。実際、タロットはトランプ的にゲームもできますし、トランプの構成とほぼ同じにもなっています。

このように絵柄の明かな違いが見受けられますので、マルセイユタロットは大アルカナと小アルカナ、特に数カードは別々で発展してきて、どこかで融合されたのではないかという説もあります。

図像からしても、ヨーロッパだけではなく、イスラムやインド・中国などの汎世界的な影響も感じられます。

いずれにしても、マルセイユタロットの大アルカナと小アルカナ(数カード)の区別が、明瞭に絵柄にあるのは間違いないことです。

ということは、ここに意図的なものがあると推測できます。なぜならば、マルセイユタロットを知ると、その図や構成に偶然はなく、必然的・計算的に作られていることがわかるからです。

ですから記号的とも言える小アルカナとの組み合わせは偶然ではないはずです。

そこで、私が思ったのは、このマルセイユタロットの小アルカナ数カードと似たような図像・象徴です。

そうすると、中国の易で使う記号的な陰陽象徴模様(こう)が出てきます。あの、直線と穴が空いている線のことです。

この二種の線の象徴によって、太極であるすべてから陰陽に分かれ、その6種の組み合わせによって64の卦といわれるように、様々な事象をシンボライズしているわけです。

いわば物事・事象のモデルであり、削ぎ落とした形・比率・図形といえます。

もしここにわかりやすい現実的な絵がついてしまうと、その絵のイメージに囚われてしまうでしょう。

例えば易の「こう」の線を何本か持った人が、えっちらおっちら、何か運んでいる絵があったとしたら、「ああ、何か大変な作業をしているんだな」「つらそうだな」とイメージするでしょう。

しかし、もしかしたら、大変に見えて農作業で得た収穫物を運んでいる状況を示唆しているかもしれず、それはつらいことではなく、むしろ嬉しいこと、何かを成し遂げたことを象徴しいるかもしれないのです。

「だったら、運んでいる人の顔や姿を嬉しいそうに描けばいいじゃないですか」となりそうですが、一方で、やっぱりそれなりに苦労してきたことがあり、その大変さは運んでいる人の嬉しい表情だけでははなかなか表すことは難しいでしょう。

そうなると、言外のニュアンスも多様に含んだよほど高度な絵を描かないといけなくなります。絵のうまさ(技巧)がいるわけですね。

とはいえ、なかなかそれは難しいことですし、たとえうまく描けたとしても、どうしても絵からの限定的イメージ(限定的でありながら、誰もが思う一般的イメージ)が出ます。

結局、特定のイメージや意味ではなく、様々なことをシンボル・象徴として描こうとすれば、逆に究極まで削ぎ落とされた記号的なものになっていくわけです。

マルセイユタロットの小アルカナは、現実的具体的分野・次元を象徴させると考えられています。(これは諸説あり、あくまで私の考えです)

現実的・具体的というのは、私たちが実際に生活している次元のことであり、また個別的ということでもあります。

ということは、一人一人違った世界でもあるのです。一方、大アルカナは逆に広い世界、誰でもあてはまる統合的世界観を象徴します。

小アルカナは現実的・具体的世界を表すとはいえ、言ってみれば、それは一人一人全員の違う世界を指し示すわけです。

それぞれAさんの世界、Bさんの世界、Cさんの世界があるわけです。

これがもし、小アルカナに絵柄がついて、はっきりさせてしまうと、同じ一枚で象徴していることがAさんもBさんもCさんも同様に考えてしまうことにもなりかねず、個別的世界を表すことができなくるおそれがあるのです。

わかりやすく言いましょう。

たとえば、「5」という数があるとします。

これがAさんにとっては5月から始める語学学習ということかもしれませんが、Bさんにとっては五回目の転職を意味しているかもしれず、Cさんには結婚を象徴している(5の数は結婚におけるセットの数を意味することもあるのです)かもしれないのです。

しかし、明らかに具体的な絵になってしまうと、このように個別的意味合いを汲み取ることが難しくなってしまいます。

ですから、小アルカナ、特に事象を示すと言われる数カードの絵柄は、記号的で抽象的なものになっていると考えられるのです。

大アルカナの場合は、このまったく反対の理由で具体的な絵柄になっているのだと思われます。

抽象的な絵柄は、モデル、仕組みとしてあらゆることを想像させ、そのモデルに応じた個別的事象を想定させることが可能ですが、逆にあまりに記号的・無機質的な絵柄のために、イメージがしにくいという点もあります。

それならば、たとえ個別的世界観の象徴が少なくなっても、わかりやすい美術的な絵柄になっていたほうが意味を見いだしやすいという立場もあり、そこで全部に具体的な絵がついているものは利用されやすくなるのです。

最初のうちは、個別的(一人一人にあてはまる意味)なものでも、具体的絵柄があったほうが読みやすいからです。(大アルカナがイメージしやすいのと同じ原理)

けれども、より高度なイメージ・推理・洞察力を養うのには抽象的モデルによるもので訓練することで、鍛え上げられるとも言えます。

例えば抽象的ともいえる天体から、サイン・ハウス・アスペクトなどの構成とフィールドの適用によって、全体的なものから個別的・具体的なものまで読んでいく占星術も同じようなものでしょう。

そうして森羅万象、あらゆるものの考察に至り、原理・真理を把握し、汎的に宿る神性を理解していくことにつながるのです。

つまりはマルセイユタロットも、ほかの古代からの象徴的叡智の体系も、自らを高次にしていくためのツール・装置だと考えられるわけです。

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