運勢とパラレルワールド
タロットにはイヤーカードなる、自分にとってその年の象徴や年運のようなものを知る方法があります。
これはこれで、なかなか使える技術だとは思います。
しかし、その世界観を信じないと決めたら、この方法もあまり使えなくなります。
タロットの世界以外でも、「占い」という分野で考えると、自分の運勢を見て、それを良くしたり、悪影響を受けなくしたりする方法はたくさんあります。
私もそれなりに研究したり、実践したりしてみました。
そこで思ったのは、「あると思えばそれはあり、ないと思えばそれはない」ということでした。
方角であったり、場所であったり、モノであったり、人であったり・・・様々に自分の運気を変える方法は伝えられています。
確かに、それらの方法で運は変化することもあると思います。
ただ、ここでは、運の変化という考え方より、別の世界への移行、象徴的に言えば、自分の人生列車の乗り換え、もしくは切り替えということで述べてみたいと思います。
結論から言えば、運命が変わるのではなく、自分を中心とした並行世界(パラレルワールド)への移動が行われたという見方です。(ただし、移行自体が「自分の運が変わること」だと見れば、結局は運命が変わったことにはなります)
並行世界とは、自分の今認識している世界とは別に、並行してたくさんのほかの自分と人生(世界)があるというSF的な考え方です。
図で言えば、今の自分の人生を軸にして、何本も別の線が延びているような感じです。ですから、それぞの線は自分の選択できる「世界線」だと表現することもできます。
では例えば、引っ越しによる運の変化事例を見てみましょう。
ある人が引っ越しして、運が悪くなったケースがあるとします。
最初はそういうこと(運勢)を気にしない人でしたが、たまたま今回引っ越しをしたことで、仕事もうまく行かず、恋人とも別れ、自分にとってはとんでもない運勢になった・・・と実感していた時、たまたま占い好きの友人から、「引っ越しのやり方で運気が変わることがある」と聞いたのです。
「もしかしたら、今回の引っ越しが悪かったのかもしれない・・・」と、その人は友人に紹介された方位学の専門家のもとを訪れることになりました。
そこで初めて、方位やタイミングによる運勢の影響ということを知ることになります。そしてその人は専門家のアドバイスに従い、今度はしかるべき時に、別の場所へ引っ越すことにしました。
すると仕事の状況も回復し、新しい恋人もでき、運気は良くなったのでした。それ以来、その人は運勢というものがあることを思い、それも引っ越しや移動、タイミングによって支配されたり、コントロールしたりすることが可能なことも信じるようになりました。
と、こんな事例はよくあるケースだと思います。
この場合、方位学の活用による運勢好転ということは当然考えられるわけですが、ここに並行世界への移動という視点を用いると、この人は最初の引っ越しの際に、何らかのことで別の並行世界に移行し、そこで運勢を信じる自分という世界観の線に住むことになったと考えられます。
従って、占い好きの友人と出会うことも予定されていて、そこから運勢への興味に変わり、実際に自分の運勢が今後変わっていくことを経験するのです。
もし引っ越しをしなかったら世界線の移行は行われず、その人は運勢というものを気にすることもなく、そして気にしないので、運勢というものは存在しないに等しい世界(線)を生きることになります。
また引っ越しをしても、もし仕事も恋人とつのつきあいも順調だったら、別に運勢を気にすることもなく、やはりこれも別の世界線への移行は起こらなかったと考えられます。
つまり、何が言いたいのかと言えば、運の良し悪しを気にしたり、運勢の変化を起こす技術や知識を入手して運勢をコントロールしたりするという人生は、あなたの数多あるひとつの人生の選択肢だということです。
それと出会い、それを活用して生きる人生や世界というところにあなたは移行したのであり、それを選択したわけです。
なぜそうなった(移行した)のかは、いろいろな理由があります。
そういう経験ができる世界(ゲーム世界と見てもよい)に、自分の魂が望んでいたと言ってもよいでしょうし、自分の力ではうまく行かない理由を、運勢というものに置き換えたかったということもあるかもしれません。
運勢というものを存在化すれば、そのルールも自分の世界の中では顕在化し、それを知るものがその世界の中では有利に進めることになるからです。
またそもそも世界が移行していない人もいます。それは例えば占い好きの親がいたとか、運勢学を生業とする家に生まれたとか、そのようなものが既成事実として強く認識されている世界観のもとに最初から誕生した人の場合です。
こういう方の世界(線)は、「運勢」というものが中心軸に来ており、それをもとに自分の世界時間も進行していると言えるからです。
ただ一般の人は、それほど最初は強く自分の運命や運勢というものを意識していないはずです。今の学校では教えられないですしね。(笑)
それでも、いずれそういったことに関心を持つことになれば、あなたの世界線や軸はそれが影響している世界に移行して行きます。
ある意味、信念とシンクロニシティ(偶然の必然性)が、自分の世界線を移行させている原動力だと言ってもいいかもしれません。
言わば、運勢をよくしようという自分が運勢というものを顕在化し、ますますそれを活用してよい人生になっていく自分を演出していくようなものです。それはどんどん自分が並行世界を移動して行っている状態と言い換えてもよいでしょう。
この考えで言えば、ほとんどの運勢は自分が創り出しているのです。(運や運勢がまったくないと言っているわけではありませんが、究極的にはそういう意味でもあります)
鶏が先か卵が先かみたいな話で、運勢があるからそれを活用するのか、「運勢というものを活用している自分」というものを生み出したいために、運勢とその活用での人生が創造されるかの例えの違いです。
これはマルセイユタロットで見れば、まさに「運命の輪」が象徴していることであり、「運命の輪」のカードによって、ここで書いているようなことも整理されてきました。
「運命の輪」は大アルカナでも10の数を持ち、22枚ある大アルカナでも、半分手前の完結で1サイクルを象徴します。
ということは、このカードを理解することが、大いなる気づきの中間地点においても、極めて重要であることを示しています。
運勢や運命というものを見ていくことは、だから大切なのです。
しかし、見方を変えれば、先述した並行世界論で行くと、ただ「運勢のある世界」に移動しているに過ぎず、結局、その多くは自分の潜在的とも言える意志による創造が大なのです。
冒頭でタロットのイヤーカードは自分に適用できるけれども、一方で適用できないものにもなるというような意味合いで言ったのは、そういうことなのです。
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