「名前」の不思議

まずお知らせです。

今週末から始まる新大阪のマルセイユタロット基礎講座ハイクラス(あと残枠1名程度です)のほかに、気軽にマルセイユタロットを学んでいただく入門コースも、今月下旬から開講いたします。詳細は近日中に発表しますので、お待ちください。

さて、本日の記事です。

皆さんは名前について考えたことがありますか?

子供さんができて命名する時や、運勢について思った時に、姓名判断などで気にされる人もいるかもしれません。

私も、以前占いをしていた頃は、姓名判断について研究したことがありました。

以前にも書いたかもしれませんが、その時思ったのは、やはり名前は何か人生に影響はあるということです。

しかし、その後、またいろいろと考察してくる中で、結局、信じたものがその世界(それが通じ、影響する世界)に移行するという考え方に、今はなっています。

要するに、自分の確信次第だということですね。

とはいえ、名前の影響は無視できないものがあります。それは現実世界でも、人やモノの名前をまったく考慮せず生活することは不可能だからです。

当たり前ですが、誰しも名前を持ち、それを呼んだり呼ばれたりします。意識しないことはないわけです。

ですから名前を意識する限り、名前からの何らかの影響は受けるはずです。

まだ厳密にはわからない部分は多いですが、名前からは「音」が発生しますから、その音の波動が作用することも考えられます。

画数、漢字の意味、これらも考えようによっては意味を持つものですので、やはり「意味を持つ」とする分だけ、「意味のある」ことになるとイメージできます。

タロットにおいても、カードの名前によって意味合いが変わることがあります。

もちろんタロットはカードの図像が基本ですので、その図像が名前を持つわけですが、いつしか逆転して、名前自体がカードの意味を規定してしまうこともあるのです。

例えば、マルセイユタロットとほかのカードでの一般的な呼び名が違うものかあり、それは本来、図像の違いから来ていることなのですが、その呼び名に慣れてしまうと、ほかのカードでも自分のカードの名前を当てはめてしまうことにより、カードの図像とは切り離して見るケースがあります。

ウェイト版を習ってそれになじんでいる方が、「塔」という呼び名でマルセイユ版の「神の家」を呼ぶ時、それはマルセイユ版の「神の家」ではなく、ウェイト版の概念での「塔」になってしまうことがあるのです。(その逆も当然あります)

「名は体を表す」ではないですが、もう名前に力やパワー、意味がこもっているようになっているのですね。

「神の家」が出たので、ついでに言いますと、神や悪魔などの超越的存在の真の名前を呼ぶことができれば、その力を得たり、そのエネルギーを自分のものとしてコントロールできたりすると言われます。

それほど名前は重要でもあるのですね。マルセイユタロットの「13」のカードに名前がないのも、ひとつには、そうした名前の力に関することがあると言われます。

ところでタロットの世界とコンタクトするための瞑想法がありますが、そのイメージの世界で、タロットカード自身が名前を述べることがあります。

それはいわゆる「皇帝」とか「審判」とかの一般名ではなく、カード自身の持つ名前であり、それは瞑想者個人にとっての重要な鍵となる言葉(名前)でもあるのです。

それゆえに、一人一人、カードの名前は異なりますし、時によって名前自体変わることもあります。

さて、ここで話を変えますが、名前にまつわることで、面白い見方を披露しましょう。

それは、過去、自分に関わった人の名前を挙げていくというものです。

特に友人とか恋人(片思いの人でもOK)とか、先輩・上司、後輩・部下とか、先生とか、とにかく強く自分に影響を与えた人の名前を思い出します。

すると、ある共通点を見つけることができるかもしれません。

不思議と似たような名前だったり、漢字は違っても同じ「音(オン)」だったり、明らかに数種類のパターンに分かれていたりするとか、そういうことに気がつく事があります。

それから地名とか出身校を遡ってみてもよいです。それぞれ全部の校名とか地名とかではなく、その最初の1文字とか終わりのほうの文字とか、目立つ文字とか拾っていくと、漢語的な意味ある文章のようになることがあるのです。

偶然といえば偶然のようですが、この世に偶然はないという考え方も一方ではあります。

そこから自分の生きている道筋、大きな方向性、天の意志のようなものが見えてくることもあるわけです。

名前とはやはり、不思議なものなのです。

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