直感と論理(思考)の選択 どちらがいいのか?
今日は「選択」ということをテーマに書きたいと思います。
マルセイユタロットでも「選択」を表すカードは複数ありますし、言ってみれば、どのカードも選択においては重要なものばかりです。
よく言われる選択の要因・根拠としては、直感か論理(思考)かというものがあります。
平たく言えば、心の選択か頭の選択かということになりますよね。
まあ、最近の傾向としては、直感選択が推奨されたり、直感で生きるのが幸せの方法と言ったりされるのをよく見かけます。
あまりにも頭や思考・論理で凝り固まって、素直に選べない人が現代社会では少なくないからでしょう。情報が多すぎて、何を選択すればいいのか迷ってしまうという環境も影響しているのかしれませんね。
また男性的な論理での押しつけがましさに嫌気や疲れが出て、女性的な直感力を取り戻したい、その選択のほうが自然だという気持ちになっている人もいるでしょう。直感重視の生き方に変えて、楽になったり、幸せになったりしている人がいることも事実としてあります。
いずれにしても、どちらかに偏りすぎての選択は、過程においても結果においても、何より自分自身が納得できないものとなり、どこか違和感があるものです。
ということで、論理の選択だろうが、直感の選択だろうが完璧はないわけで、究極にいえば、どちらも当たり前に実は使っていて、どちらの選択の結果であっても問題はないと言えます。
問題にしているのは、自分の価値観や幸福感、快・不快による反応のようなものであり、選択に悩むのも一種のゲームだと見ることもできます。
ということで、近頃よくいわれるような「直感で選ぶ」ことだけが万能(全て)ではないわけです。
また、「直感で選ぶ」ということを勧める場合でも、注意が必要な場合があります。
それは、結局「正しいのはどっち?」「正解はどれ?」という○か×、正誤観点で直感を使おうとしたり、重視したりしようとする態度です。
これは、自分の「ある価値基準」を入れて評価や判断をしようとしてるわけですから、直感のようでいて論理に近いと言えます。
あと直感は好き嫌いに化けることがあり、逆に論理は損得勘定で見ているようなことがありますので、これも注意すべき点です。
でも、このことは実は直感や論理(の選択や統合)を向上させるのには、よい観点にもなります。
例えば、「直感」というのは、実は次元を低くすれば、「好き・嫌いレベル」なんだな~と思うことができますし、だから逆に、まずは好き・嫌いでの選択から入ると、直感センサーを磨く入り口になるのだと気づくことができます。
自分がそれが好きなのか嫌いなのか、好きなほうを選ぶ、嫌いのものを選ばないということでさえ、できていない(わからない)人もいるからです。
それから論理も、先ほど言ったように、結局なんだかんだ言っても、自分が得になるか損になるかで選択しようとしているとわかれば、じゃ、その損得というのは、お金なのか?気持ちなのか?いったい何なのか?ということを突き詰めれば、自分がとても大事にしていること、いわゆる自分の重要な価値観というものを改めて発見できることになります。
すると、選択に迷っていたものも、その自分の置くもっとも大切なポイントさえ見極めれば、自ずと選ぶものは決まってきます。
例えば旅行の行き先で迷っており、あなたがお金に最も価値を持っているのなら、すべてお金に換算(ルートとか時間の価値も)して、もっとも効率のよい(少ないお金で満足度の高いと考えられるもの)を冷静に判断することができます。
景色や行き先よりも、食事のおいしさに最大の価値を置いているのなら、そのポイントの選択が鍵となります。(この場合は、旅に行くことそれ自体さえ、変更されることもありえます)
あと、直感で選ぶ場合でも、結果が自分に得になるか損になるかの視点で選ぶとなれば、直感は本来の直感でなくなることもあります。
まあ、直感選択でのスムースさを表したければ、結果を気にしないようにする選択過程がいいと思います。
人には個性があり、育ってきた環境や、学習し蓄積してきたデータもあります。気持ちだけで選択できるものではありません。
「子供のような気持ちで選ぶ」と言ったところで、あなたが大人であるならば、その年数経験は身体的・感情的・霊的機能からしても、子供とは異なるところがありますので、あくまて例えや比喩としての「子供」と考え、子供にはなれないことは自覚しましょう。
そもそも子供が全員素直で純粋というのも幻想であり、世界観や価値がまだ子供それであるというに過ぎません。
子供はまだ発展途上にあること(経験未熟ということ)、またいい意味でいうと、社会的判断を入れずに選択できること(本能的であるということ)、霊的にいえばまだ完全性から不完全性ゲームの世界に移行しきっていない子供がいることによって、神のような選択ができる場合があること、それから大人のように条件的に複雑なこと(たくさんの配慮)を考えずに済むので、たまたまシンプルな本質的選択ができる場合があることで、大人とは異なるように見えるのです。
直感と論理に戻りますが、このふたつはバランスではあるのですが、先述したように個性・タイプが人にはあり、そのバランスはフィフティ・フィフティなどという単純なものではありません。
さらに、直感や論理(思考)においてもレベルの上下(高い低い)がありますので、低い思考は普通レベルの直感より劣って、反対に低い直感は当たり前の思考論理に太刀打ちできないこともあるのです。
結局、「選択するということ自体を味わう(それが現れているすべてのことの)経験」が重要なのだと思います。これはマルセイユタロットの「恋人」カードに描かれている内容でもあります。
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