悩みや葛藤からの脱出のヒント
私は昨年、マルセイユタロットに画かれているある教義について、深く入り込み過ぎ、タロットで表現すると「月」のカードのような状態になっていました。
これはなかなか厳しく、今まで経験したことのないような闇と苦しみを感じました。
「闇」は「病み」と音が通じますが、表面的には元気で講義なども普通にやっていましたが、一人になると、またその深い葛藤に悩むという、まるで病んだ状態とも言えました。
以前にうつ病になったことがありましたが、それとはまた違う、別種の感覚です。
結局のところ、その根本的な解決といいますか、答えはいまだ見つからずなのですが(見つかればすごいことになります)、ひとまず、深く沈み込むような状態からは脱出することができました。
まあ、実状は引き返したというようなことにちょっと近いので、戦略的撤退みたいな感じといえばそうです。(苦笑)
この経験でわかったのは、至極単純なことですが、人間は葛藤したり、悩みすぎたりすると、ますますエネルギーを失っていくということです。
「たがら悩んではいけない」など、言うつもりはありません。
そんなことができれば、人間苦労はないですし、誰も好き好んで悩みたいと思っているわけではないからです。
ところが、考察を深めてきますと、そう(悩みたくない)とも言えないこともあると思えました。
もしかすると、人は好きで、と言いますか、自ら望んで悩んでいることもあるのではないかと。ただ、それは自分が自覚できていないだけだということです。
好き好んで悩むレベルでも、低いものは、悩んだり葛藤したりする状況を作って、いかにも自分は苦しんでいることを演出し、助けてもらいたい、関わってほしいという心の欲求をかなえようとする場合があります。
まあ、わざと問題を起こして注目してもらおうとしたり、本当は死ぬ気はないけれども、死ぬようなそぶりを見せて引きつけようとしたりするようなものですね。
この場合は、多少演出側に自覚があることもありますが、悩んで人に関わってほしいとする演出では、まったく自分が気づいていないことがほとんどでしょう。
さて、好き好んで悩むレベルで高いものになりますと、魂の選択でやっていることがあります。
カルマの再現とか解消ということもあるかもしれませんし、悩むことがいわば人生で経験する大切な事柄だと、魂が決めているような場合ですね。
このケースも、まず自覚することは難しいでしょう。ただ、その葛藤や悩みには必然性があり、その後に自らの変容が大きくあるのが特徴と言えるかもしれません。
マルセイユタロットでは「13」とか「隠者」とか、「審判」のカードで象徴できるでしょう。
さて、いずれにしましても、悩みは大きなエネルギーを消費するとともに、実は同時に強いエネルギーも発生させています。
このエネルギーが結構重要です。悩み葛藤は、あることを思う、考える、戦わせている、渦巻いているような状態で、思考や感情エネルギーの混沌・混乱だとも考えられます。
一面ではエネルギーの多大な消費(浪費)になりますが、電気のように、発電しているようにもなっているわけです。
ただ発電に任せて電力を浪費してしまうようなことをしていると、精神的に疲弊し、現実さえも暗く悪くなっていきます。
それは、思考や感情のエネルギーが、創造や生命のエネルギーと結び付いているからです。
悩みの状態そのものにどっぷりつかると、いわば電池の電気容量がなくなっていくことに等しくなるわけです。
ということで、まともとに戻りますが、「せんなきこと」と言われるように、解決方法がすぐに見つからないようなものに対して悩み続けると、通常はエネルギーがダダ漏れになったり、発電してもショートしてうまく電通しないようになったりしますので、くよくよ長く考えすぎるのは、なるべく避けたほうがよいと思います。
もし悩んでいて、今すぐできることがあるのなら、またはっきりさせたいことがあるのなら、やっておくことです。
つまり、できるだけ精神的にクリアーな状態になるよう、現実での行動や取り組みをするということであり、端的にいえば不安を取り除く現実的行動です。
ただ斬新なアイデアとか、究極の解決法というのは、悩み抜いた末に出ることが多々ありますので、わからないことを悩み続ける、探し続けることは悪くはありません。
しかし、それでも、一瞬力を抜いたり、別の次元に自分を移行させたりすることにより(環境や作業の変化)、アイデアが湧くとも言えますので、どこかで切り替えのタイミングは必要かと思います。
また悩み(のエネルギー)にも種類(カラーと考えてもよい)があり、同じ迷うにしても、発展的・積極的悩みをしたほうが、脱出が早かったり、エネルギーの消費が少なかったりします。
言い方を換えれば、希望をもった悩み方をしたほうがいいということです。
希望をもった悩み方とは変な言い方ですが、悩んでいる今の時点は仕方ないにしても、どうしようもないと絶望的に悩むのではなく、光はある、出口はある、悩みは解放の一過程というように希望を捨てずにいるということです。
一番いいのは、悩んでる自分(の部分)を切り離し、もう一人の自分が客観的にそれを見ているというように持って行くことです。(イメージする)
そのコツは、もう一人の自分というものを、絶好調の自分であったり、よい時であったり、悩みのなかった時の自分のようなものであったりするようにイメージします。
ただこれは、悩んでいる当人・当事者には確かに難しいことなので、そこで誰かに相談するなどして、自分を客観視できる機会を作ります。
人に相談して、その人に解決してもらうという効果よりも、「相談するという状況」そのものを自分が作り出し、それによって、悩みの渦中にいる自分を別の自分が眺められるような状態を生み出すわけです。
面白いことに、この場合は、相談する相手の力量が低かったり、あまり効果がその時うかがえななかったりしてもよい場合があります。
なぜなら、頼りにならないからこそ、「こんな人に相談してしまった・・・」とか(笑)、「何もわかってくれないな、この人」とかの感情になり、逆に自分を冷静に見ることができる場合もあるからです。
もちろん解決してくれるすごい人に出会ったのならば、それはそれでラッキーなことであり、悩みが解消されるわけですから、良かったということになります。
さて私の場合、マルセイユタロットがあったおかげで、深い悩み状態にあっても、それがどんなもので、どの段階にあるのかがタロットの象徴的にわかっていたので、どこか心の奥底では安心感がありました。
それが闇に飲まれずにいたことの要因でもあります。
大きく言えば、悩みからの解放の鍵は、マルセイユタロット的には「愚者」のカードにあるといえます。
「愚者」というカードは、その名前の通り、愚か者の人物が描写されているカードではありますが、旅をしている姿でも描かれています。
私たちはどんな状況にあっても、旅をしているのだと思えば、ひとつひとつの悩みも、旅先での経験ということになります。
悩まないとバカで愚か者のようには見えますが、悩まないということは人としてこの世に生まれた以上、ありえないとも言えます。従って、悩むことをする私たちは愚か者でないのです。
そして逆に、愚か者でないので悩むことにもなります。(苦笑)
だからこそ、「愚者」は愚か者の風をなし、旅をしている人物で描かれているているのでしょう。
悩みは人生の旅路を彩る景色であり、愚者はバカやアホになりながら、それを楽しみ、次々と歩んで行っているわけです。(この歩みは横の移動だけではなく、縦の移動もあります。つまりフィールドの移動だけではなく、次元や階層の移動も示唆されているのです)
あ。、それから「愚者」は逃げることもできる人物です。
これらが悩みや葛藤からの脱出のヒントになるでしょう。
コメントを残す