自分の力を拡大する方法

マルセイユタロットで、もっとも自由を象徴するカードとも言える「愚者」と、その名の通り、ある種のを示す「」のカードを見ていますと、まさに自由における力の拡大ということが思い浮かびます。

ただ、面白いことに、「力」のカードの番号(11)に至るまでには、「正義」(8)という責任を表すようなカードも含まれていることです。(マルセイユ版)

つまりはやはり、マルセイユタロットにおいても、自由の獲得にはそれなりの責任が及ぶということが示唆されるのです。

最近は自由になることと楽(堕落)になることが混同されて、責任もすっ飛ばして、とにかく駄々っ子のように、何でも思うようにしたいという方が増えてきたり、解放だと勘違いされたりしている人もありますので、タロットからもふれてみた次第です。

さて、話は変わりまず、この「力」と「愚者」について、また別の話をしてみたいと思います。

マルセイユタロットにおける「力」のカードの絵柄には、ライオンを子猫のように操っている若々しい女性が描かれています。

どのカードもそうですが、これも非常に象徴的です。タロットカードを解釈する場合、そのまま見ては何もわかりません。

ですから、本当は口伝や伝承、神話や言い伝えの形で伝達される内容や暗号、さらには象徴解釈に伴う知識が必要なのです。

とはいえ、それらの前にもっと大切なことは、絵柄の印象を受け取って、それを比喩的に考察する・イメージするということです。

例えば、「力」のカードを見て、「女の人がライオンを触っている、すごい!」という、見たままの感想を抱く人や、「素人の女性がライオンを抑えられるわけないだろ!」と、絵柄それ自体で考える人もいるわけです。

そのどちらも素朴で常識的な感想です。(笑)

ま、よく言えば童子レベルの素直な印象、悪く言えば、見た目そのままの単純な反応です。

ですから、ここ(タロットの絵柄)から比喩的・隠喩的・象徴的に絵を読み解いて、想像していかなくてはならないのです。

例えば、普通の女性がライオンを扱えないのは当たり前なのに、なぜそのように描かれているのかということ、

ライオンを従えている女性の動作、視線、そもそもこの女性は本当に普通の女性を示しているのか?

あるいは女性という存在に、何か秘密の力が隠されているのか?

いやいや、ライオンも動物のライオンというわけではないだろう・・、これは猛々しいものを表しているのかもしれない、もしかして男性のこと? 荒ぶる魂? 

どうも力づくでライオンを押さえているわけではないようだな・・これは力の使い方を示しているのか?

・・・など思考も入れていろいろと想像していくわけです。

そうやって出てきたひとつの考え方が、今から言う「愚者」と「力」の話になります。

「愚者」は旅をしている人を描いていますが、私たちが旅や移動をする時、知っている土地と知らない土地とでは、当然移動のスタイルや方法も違ってきますし、何よりも意識が異なります。

何度も行き来しているところだと慣れていますので、効率的で安心して旅や移動ができます。

逆にまったく知らない土地では、土地勘もなく、人も知らないので、不安で迷うこともあります。

つまり、どれだけそこになじんでいるかという意識の違いがあるわけです。

結局、それは自分として日常的な範囲として認識しているか、あるい未知の場所やまだ慣れていない非日常の範囲かという区分けになります。

そして、自分にとって日常の範囲だと思っているところが活動(生活)範囲にもなり、そのまま自分の意識の広がりや、その場所にある人やモノを活用できる広さにもつながっています。言い換えれば資源や能力にも関係します。

ですから「力」のカードと関係するのです。

例えば、もし「力」の女性がライオンではなく、子猫を扱っているのなら、それはほんの小さな範囲でしかコントロールできていないことを意味します。

わかりやすく言えば、町内レベルの範囲です。まさに小学生くらいの認識でしょうか。

しかし成獣のライオンまで来ますと、それはかなり広い範囲にまで日常として拡大しています。

日本はおろか、世界まで普通に日常レベルの範疇に入っているという感じかもしれません。

猫しか扱えない人から見れば、ライオンを扱える範囲にいる人は奇跡的ともいえることを成し遂げられます。

ただ、ライオンを扱えている人でも、最初からライオンがコントロールできていたわけではありません。それこそ子猫の扱いから始めている人がほとんどです。

ただ、そういう人は子猫レベルで満足せず、扱える範囲を次第に広げ、自分の日常感、つまりはリアリティ(現実感)ある範囲を普通の人より拡大してきているわけです。

子供の頃は町内でしか一人で移動できなかったものが、大人になれば認識と知識・経験が増え、国内なら自由に一人で行けるようになっているというようなものです。

ということで、できるだけ拡大した範囲を何度も行き来する(現実感が出るまで活動する)ことにより、自分の日常認識範囲が広がって、それこそ子猫からライオンへと、扱える範囲と能力も変わって、あなた自身の豊かさや心の充足、またはそれらへの多様な方法の選択を増やすことになるのです。

単純に「愚者」のように、旅も自由に、もっと広い範囲に出てみることを何度か繰り返すだけでもよいです。

いつもせいぜい本州が普通だった人は、九州や沖縄、北海道などにも行くことを繰り返すことです。

国内だけの人は、海外というパターンもいいでしょう。

ただ、いきなり範囲を広げすぎると、子猫からライオンをぶっつけ本番で対応するのに等しくなって大変ですから、無理なく、少し冒険するような形で少しずつ拡大していくとよいでしょう。

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