隠れる時と出る時
今日タロットから浮かんできたのは、「隠者」と「法皇」でした。
マルセイユタロットではすべてのタロットカードが有機的につながり、関連し、共鳴しあうような仕組みになっています(それも知識的側面と感覚的即目があります)が、この「隠者」と「法皇」も強い関係性を持つカードとなります。
両者ともに年を取った男性的な姿で描かれています。
しかし、「隠者」はその名前の通り、目立たず、ひっそりと隠棲している様子で、一方の「法皇」は弟子か聴衆に対して法話を伝えており、表に出ていると言えます。
そこから私が思ったのは、人は隠れている時と出ている時があるということです。
そんなことは当たり前で、誰も出ずっぱりのことはないですし、またずっと隠遁しているわけでもありませんよね。(笑)
私の言っているのは、これが象徴として、個人の人生のタイミングや状況に応じて入れ替わること、しかしそれは社会や宇宙というもっと大きな括りで見ると、うまくバランスが取れているのではないかということなのです。
例えばあえて極端な話をしますと、ニートの人はずっと隠れているような状態かもしれませんが、その分どこかに自分の中で「出たい」という欲求や願望を持っていたり、親や他人からは「出てほしい」という希望も抱かれたりしています。
実際の現象や行動面から見ると、隠れている人とそれを見守っている人という対比になりますが、精神的なエネルギーの願望方向で見ますと、実は結構「出る」「出ている」というイメージがあるのかもしれないのです。
隠れれば隠れるほど、出たい、出なければ、出てほしいというエネルギーも増すと言えばいいでしょうか。
今はインターネットとつながる機器が発達していますから、たとえニートで引き籠もっていたとしても、ネットを通じて仮想的には自分は外に出ているという体験・感覚を得ることができます。
また昼は人目があって出ていなくても、夜にはコンビニに行くなどして、雑誌や食べ物を物色したり購入したりして、自分(の欲求)を出しています。
つまりは完全に隠れているわけではなく、どこかで出ているというエネルギーの表現はしているのです。
おそらくネットでの漂流はニートになれば激しくなる可能性もありますし、広範囲に出るというだけではなく、深く入り込むこともあるでしょう。
入るということは、逆側から見れば、「出てきている、突出している」と見ることもできるからです。
タロットの世界に足を踏み入れるということでも、通常や常識の世界(観)から逃げる意味もありますし、日常から隠れようとしていると見ることができます。
反面、タロットの霊的な世界側からすると、向こう側(日常世界)からこちら側(非日常世界)に出てきている、目立って来ているというように見えるでしょう。
マルセイユタロットでは「愚者」と「隠者」の関係性が深いのも、上記を示唆しているように思います。
さて、さきほどのニートの人の話になりますと、結局エネルギーを反転させて、実際の外に出るようになるためには、引き籠もっている世界での「出る」ことをなくす必要があるかもしれません。
内側の中で「出る」表現ができない場合、外側で「出る」しかバランスが取れなくなってきます。ネット環境とかないほうがいいわけです。
しかし、だからといって、いきなりそれらを取り上げても、爆発的に外に出ようと、暴力や自傷・他傷行為に及ぶこともあるかもしれませんので、注意は必要です。
また周囲の人が過剰に「出る」イメージやエネルギーを想像し過ぎると、「出る」という状況が精神的に達成してしまうことになりますので、あまり強く出てほしい願望を抱かないほうがいいかもしれません。もちろんケースバイケースの話ですが。
話は変わりますが、タロットリーダーで営業をしたい時、隠れていては当然ですが、クライアント・お客様は来られません。自分で「出る」表現をしないといけないのです。
ただ、隠れることと出ることのバランスが、人の意識によっても違ってきますので、自分なりのペースというのも考慮する必要があります。
今までかなり隠れる傾向にあった人は、いきなり出ると言っても難しく、すでにたくさん出ている人からすれば簡単で、大したことのない「出方」ではあっても、隠れているのが強かった人には、それだけでもすごいエネルギーがいり、その時点でギリギリのバランスであったりするのです。
ですから、いかなる人も隠れる・出るのバランス比率では同じかもしれないのですが、そのバランスの規模や表現の違いに個人差があると考えられます。
お金のバランスでも隠れる・出る、つまり収入・支出バランスはもとより、お金の扱い自体に対するバランスもあると言えます。
見た目の傾向で、隠れることが強く、出ることが弱い(しかし本人には、その時点ではそれでバランスが取れている)と、お金の隠れる出るバランスもそれに呼応するでしょう。
つまりはお金は自分にとって隠れている状態、あまりお金が現れていない状態になります。(もともと貯金や遺産などがある場合は別でずか)
なぜならお金はエネルギーであっても、物質的なものだからです。物質的というのは、見た目(でわかるという意味で)の世界に強く関係します。
ということで、今の自分に経済的・環境的・精神的に満足していない場合は、自己表現において、隠れる・出るのバランスの質を変えていくほうがよいことがわかります。
まあ、自分が何もしなくても、自分の思いに応じた隠れる・出るのバランス世界が自動的に組まれていくというのが、この宇宙でもあると想像できます。
要するに、自分の意志で創造していくか、宇宙の全体意志のひとつとして創造してもらうかの違いみたいなことです。
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