本当は誰に何を話したいのか、してほしいのか。
よく例えられる話があります。
男の子が好きな女の子の気を引くために、わざといじわるしたり、関心がないかのようにぶっきらぼうにふるまったりするという、この手の話です。
つまり、本当は関心があるけれども、素直に相手に言えないので、別の形で注目してもらおうと表現するスタイルのことですね。
これが大人になった私たちでも、結構、よくある話ではないかと思います。
別に男性が女子にというものや、恋心だけでの話とは限りません。
このパターンを拡大しますと、結局、自分をアピールするために、本当の気持ちとは裏腹なことや、誰かや何かに注目を浴びたいということで、突飛な行動・問題行動をしてしまうというものです。
問題行動だけではなく、成功する自分になろうとお金を稼いだり、人とは違った特異な分野を探究して発表したりするようなこともあるかもしれません。
となると、問題が繰り返し起こったり、自分がうまく行かないようなことが続いたり、何かをやっていてもどこか空しくなったりするような場合に、実はこのようなシステムが働いているのではないかと疑ってみることもできます。
自分は気がついていないのですが、無意識に、失敗したり、ダメな自分になったり、変わった行動を取ったりすることで、誰かや何かの注目を引くことができるメリットがあるのです。
マゾの人ではありませんが(^^;)、「あなたはだめよねぇ」とか、「そんなこともできないの」「あ~またやっちゃったんだ」と言われるような状況になることが、実は当人にはうれしいこともあるわけです。
なぜなら、まずはそれだけどんな形であれ、相手から注目されることであり、また甘えることができている(甘えの表現が出せる)からです。
大人であっても、親との関係に問題があったり、自分にとって厳しい環境や人と接している状態があったりすれば(外で戦っている状態、これは当人比なので、ほかの人から見れば大したことないという環境でも、当人が大変だと感じていれば、それはシビアなのです)、やはり甘えたい欲求も出るのが人間と言えます。
ともかく、自分の行動原理の奥底には、意外にも単純な注目欲求や、本当に語りたい、話したい、したいことが行えていない、言えていないことが原因ということもあるわけです。
先述したように、そういう欲求や抑圧感情は、たいていは養育歴における自分の親との関係から生まれてくるものですが、もちろんそれだけではありません。
過去に恋愛した相手であったり、上司であったり、友人や知人であったり、昔の何らかのタイミングの自分であったりするのです。
ところで、マルセイユタロットでの展開で、過去パートを見ることがあります。
この過去パートをリーディングする意味については、いろいろとあるのですが、そのひとつには、こうした過去に置き去りにしている、あるいは表面意識的には忘れていても、しっかり奥底にくすぶっている感情や思いを映し出すという機能があるからなのです。
私の採用しているマルセイユタロットの展開では、一応、時系列別にカード展開のパートは分かれるものの、ある部分からは過去も現在も未来もつながっているようになる展開になります。
つまるところ、無意識の上では時間は幻想となり、現在においても過去と未来が同時存在しているようなものと言えますので、過去の自分と今の自分、そして未来の自分とを連関して見ることで、自己の総合時間(幻想とはいえ、事実感覚としては存在します)においての別存在である自分を癒したり、解放させたりすることが可能となるのです。
いわば、各時間存在における自己の統合です。
実は気づくだけでも、相当な癒しや浄化、統合的働きになります。
それは、例えれば、見える世界と見えない世界の境目が、「気づく」「気づいた」というその瞬間になくなるためです。
つまり、今まで「気づいていなかった」ということは、その気づいた事柄が隠れていて「潜在的」だったということであり、今度は「気づいた」ことで、その時点で潜在から顕在へと変化したのであり、その内容において両者を陰陽(明らかと不明)で隔てていた壁は消えたことになるからです。
これは二元統合の形式のひとつです。
「気づく」ことの重要性はいろいろなところで、様々なセラピスト・アドバイザーが語っているところですが、このようなシンプルな理由があるのです。
しかしながら、隠れているものを発見することは、探し方を間違えれば、すごく時間がかかったり、手間がかかったりします。
また時には(タイミング的には)、探さなくてもよい場合もあります。逆に、一刻も早く見つけなければならないケースもあります。
マルセイユタロットの展開とリーディングでは、そうしたことも見ていくことがあるのです。
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