癒し系、メンタル系で仕事をすることについて

タロットリーダーもそうですが、プロになって仕事にしたいという場合、提供するサービスの内容がスピリチュアル系や癒し系、メンタルなサポート系のケースでは、お客様からお金をいただくということに躊躇してしまう人がいます。

これがその人の「お金に対するブロック」に根ざしているという話もあり、その手の解除を試した方もいらっしゃるでしょう。

それがいいのか悪いのかは、ここでは述べません。

今回のテーマは、メンタルや癒し系で人の援助をしたいという方が、「お金をいただくということに対して、どう考えるのか」ということについて書きたいと思います。

まず、これは厳密には比較対象にはならないかもしれませんし、比較される方としては、違和感を覚えるかもしれませんが、わかりやすいと思いますので、「医者」というお仕事を事例にして考えたいと思います。

お医者さんの場合、もちろんお金儲けということが目的ではないでしょう。

しかし、サービス業として、お金をいただく「仕事」であることも確かです。

ここに、二人のお医者さんがいたとします。ともに腕や技術は同じで、患者に対する気持ちや医療行為についても真摯だとしましょう。

そして一方のお医者さんは、たくさんの人に医者として貢献したいと思い、設備も大きくしたり、医療機器の充実にも力を入れたり、最新の技術を取り入れようとしたりもしています。

しかし、そのためにはお金が必要です。だからといって、いわゆる不正や、いい加減なことをして稼ごうというわけではなく、様々なサービスの工夫や宣伝などをして、営業的発展を試みています。

また各地で講演をしたり、医療とは直接関係ないにしても、近接した事業も手がけたりしています。そうして自分を基礎とした組織の拡充を図り、結果的に患者さんも多く来られ、お金も流れてきています。

さらには、自分の息子にも医者になってもらい(息子の意志は尊重しています)、組織のあとを継いでもらって、引き続き、たくさんの人を救いたいと願っています。

翻って、もう一方のお医者さんは、地域密着で、親切で面倒見がよく、急患にも快く応じ、時には支払いが満足にできない人でも診てくれることがあります。

その地域では評判なものの、これと言って宣伝に力を入れているわけでもなく、今時、HPもありません。まさにアナログ、リアルでのお医者さんとしての営みです。

腕も良くて親切なので、口コミでは評判ですが、患者さんが地域以上に拡大することはなく、また規模も医院ですので、限界があります。

そもそもこのお医者さんには、拡大意識はなく、ただ来てくれる人のために一生懸命、治ってもらおうと、元気になってもらおうとしているだけです。ですから一代限りで終わってもよいと思っています。

また「医は仁術」であること、人に貢献する職業であることを強く意識していますし、医業本分以外に手出しすることもありません。

さて、皆さんは、この二人のお医者さんのケースを見て、どちらがいいと判断しましたか?

またどちらにシンパシーを感じました(共感されました)か?

まあ、そもそも医者と癒しやメンタル業界では、業務独占の公的資格制度のことや、医者の社会的認知、投薬や手術などの目に見える形があるなどの根本的な違いがあり、比較にはならないと思います。

しかし、ここではあえて、お医者さんを例にしました。

貨幣経済の社会の中で、お金を稼ぐこと、サービスを提供し、代価としてお金をいただくことは当たり前の行為と言えます。

一方で、お金だけでは解決できない倫理、正義、バランス、美、徳といったものも人は尊重します。

やたらとお金に対する思いを解除したところで、それは新しい価値を自分に入れているだけであり、解除ではなく、置き換えがほとんどです。それを解除と言ってもいい場合も、もちろんありますが、ブロックは自分を守ってくれているところもあります。

そしてまた、自分がサービスを提供する「仕事」として行うと言っているのに、頑なに低額料金や無料で行うことは、何かの修行かボランティアだと指摘されても仕方ない面もあります。

癒し系、メンタルサービス系で人のために何かをしたい、それを仕事としたいという方、もう一度自分自身で考えてみてください。

どれが正しいというのではなく、結局はあなたの価値観(大切にしている判断基準)によるのです。

当然、価値観も変わることがあり、最終的には、最初に戻り、「自分が正しいと思っているもの」という「正しさ」の判断に行き着きます。(「どれが正しいというのではない」と言いましたが、行き着くと、そうなってくるのです、ここが面白いところです)

なかなか正しさを抜けることは難しいものであり、それがまた人の個性を作っているとも考えることができます。

よって「選択」(自分が選ぶ)という概念は重要さを持ち、人間を超えたところの崇高な基準というものが、古代では尊重されてきたところもあるのです。言葉で言えば、霊性ということになるでしょう。

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