偶然の再会の意味
偶然の再会という出来事があります。
人によって、その意味もまたそれぞれだと思いますが、これを現象そのままのこととして受け止めるか、象徴的出来事として解釈するかによって違ってくることがあります。
現象そのものとして受け止めるというのは、端的にいえば、「その人」に再会したことに意味があるというものです。
再会の出来事というより、その人との出会い、邂逅に意味を置いて考えてみましょうということになります。
その人が何かずっと伝えたかったことがあるのかもしれませんし、その人から紹介される仕事があるのかもしれません。
また、自分自身がその人に対して、何か言いたいことを残していた可能性もあります。
さらには、恋愛などでよくあるように、再会することで、前には進めなかった恋愛が進行していくというのもあります。つまりは、一歩関係性を深めたり、やり直したりするために再会したとも言えます。
それは、いわば「運命の出会い」「運命の再会」というべきものかもしれません。
タロットを占い的に使う場合は、たとえば「運命の輪」などが登場することで、そうした出会いを暗示することもあり得ます。
一方、再会を象徴的に解釈するというのは、その人との出会いももちろん意味あるかもしれませんが、それよりも、その人と「再び会う」こと、それ(再会現象)自体に重要なポイントがあると考えるものです。
さらには、その人と過ごしたり、出会っていたりした昔の自分の状態も思い出し、その人が自分にとって何かの象徴であることをつきとめると、再会の真の意味がわかってきます。
例えば、私にはこういうことがありました。
5年くらい前、タロットの仕事に行き詰まり、とあるところでアルバイトを始めていたのですが、なんと、その通勤途中に、公務員時代の上司に偶然、遭遇することになったのです。
その方は、当時でももう定年されており、第二の就職先にお勤めされていたのですが、それにしても、偶然でびっくりしました。
この方が私の上司だった時代、私は公務員として、いろいろと基礎から仕事を仕切り直していた時代であり(最初は児童相談所勤務でしたので、典型的な公務事務的な仕事が、まだ身に付いておりませんでした)、また後半はそれなりに公務員生活も充実していた時でもありました。
しかし、反面、うつ病の要因になった期間とも言えました。
つまり、まさにいい面でも悪い面でも、私の公務員時代の象徴が、この上司(と仕事した時代)と言えたのです。
さて、私がその元上司と再会した時、通っていたアルバイト先(これも半行政的なところでしたが)も期間限定であったので、次のアルバイト先も決めていた状態(内定していた状態)でした。
しかし、この元上司と偶然再会し、アルバイト期間が終了しようとした矢先、なぜか急に次のアルバイト先の都合でアルバイトがダメになり、再びタロットの仕事をすることに向き合わざるを得ない状況になりました。
結果、今に至るわけですが、いろいろと人生で転機のあった中で、あの時も大きなもののひとつと言えました。
結局、再会した元上司は、その象徴的意味合いにおいて、私が公務員という仕事と、完全なる決別を促す存在だったわけです。
元上司という人間の登場で、典型的な公務員時代を思い起こさせることで、逆に、今はもうそうではない自分(私)を暗示させていたと考えられます。
(別に元上司の方と特別な話をしたわけではありません、象徴という意味においてです)
おそらく私の中で、どこかまだ公務員時代の名残や、タロットを仕事とすることに対してのブロックや、いい加減さというものが残っていたのでしょう。
このように、再会する人、あるいはその出来事そのものが、象徴として自分の(変化などの)何かを知らせてくれることになっているのです。
SF的に考えると、再会する人は、実際にその人自身ではない可能性もあり、あなたが生み出した別次元のその人とも考えられますし、また別の時間軸に存在したその人と、今の自分の時間軸が瞬間的にシンクロした出来事だとも推測できます。(タロット的には「運命の輪」のリンク)
ということは、あなた自身の次元がゆらめいていることは確かであり、それゆえ、あなたが今(誰かと偶然再会した時)、変容過程にあることを証明できるわけなのです。
人の偶然の再会というのは、それだけ大きな意味があると考えられます。
コメントを残す