願望実現法、音声と感情の関係

世の中に、いわゆる「願望実現法」なるものは数多く紹介されています。

その真偽のほどはともかくとして、実践してみて、何がしかの効果があったものもあるでしょうし、全く効果がなかったものもあるでしょう。

私自身が思うのは、やはり、ここでも全体性と個別性があるのではないかということです。

簡単に言えば、全員に通用する部分と、個人個人でしか効かない部分があるということです。

では全員に通用するものを採用すればいいではないかと思うかもしれませんが、これはあくまで私の意見ですが、おそらく全員に通用するというものは、その働きが「個人」としては弱くなるのではないかと考えています。

いや、個人であっても、もしかすれば、強く働いているのかもしれませんが、それが個人の思いに反映されない絶対法則のようなもので、結局、個人的な願望をかなえるということには、あまり影響がないようなものであると想像できます。

言ってみれば万有引力の法則みたいな感じで、これは地球にいる者全員に作用しますが、一人だけ重力から抜けようとしても、それは無理なことというのに似ています。

あまりに普遍的で宇宙的ともいえる強力なものなので、実は個人個人がどうかできるものではないと言い換えてもいいかもしれません。

ですから、全員に通用するようなものは、見た目、「個人には弱く働いている」ように感じるわけです。

ということで、あまた言われている願望実現法も、自分に合ったものを探してください、と述べることになります。

さて、そんなたくさんある願望実現法のひとつに、言葉で自分の願望を唱え叶えるというものがあります。

いわゆるアファーメーションもその種類に入るのかもしれません。(ただし、やり方は似ていても、少し違う部分もあるとは思います)

こうした場合、感情を込めて言ったほうがいいのか、反対に、感情を込めないで、ただ機械的に述べたほうがいいのかという疑問が起こります。

なんとなく感覚では、気持ちや感情を込めたほうが叶いやすいように思います。

言葉には、ある種の波動や周波数のようなものが存在すると仮定しますと(仮定しなくても音声ですから当然あるはずですが、ここでは、その言葉による一定の波動・パワーという意味で述べています)、感情のエネルギーが影響して、言葉の持つ力を増強させることがあるかもしれないとは考えられます。

ただし、今、私は「増強」と言いましたが、影響を及ぼすというのは、何も強めるだけではなく、弱めることもありえると思います。

感情にも波動があるのなら、波同士、干渉し合い、振動は激しくなる場合もあれば、逆に波が収まってしまうようなこともあり得るでしょう。

ということは、感情を込めて願望を述べること、あるいは何かポジティブな波動をもたらすと言われている言葉(「ありがとう」など)でも、必ずしも、よいわけではないと言えます。

言えば言うほど、逆効果ということもあるわけです。

あまり感情が入り過ぎて、波動に影響を別の意味で与えてしまうようになる状態で言葉や文章を述べるのなら、まったく気持ちを込めず、機械のように一定のリズムで唱えたほうが効果的なこともあるかもしれません。

おそらく普段、ネガティブ気味、またはそういう言葉をよく何気なくつぶやいてしまうような人は、感情を込めずに言うほうがよく、逆に、普段からポジティブな言葉や思いでいる人は、いつものようにその感情を込めて述べたほうがいいと考えられます。

ただし、先述したように、あまりにも力が入りすぎるような時、例えば、「絶対叶えてやるんだ!」とか、崖っぷちのようにギリギリに追いつめられた状態で言うような時は、誰でも自然にネガティブ(暗いというようなネガティブではなく、破壊に近い爆発的エネルギー)に傾きますので、そういう場合は、やはり感情はあえて込めないほうがよいでしょう。

まあ、これも個人差があるでしょうから、自分に合う方法で試されるとよいと思います。

ちなみにタロットを使う願望実現法も考えられますが、個人的には使いませんし、お勧めしません。

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