言葉の暗記と、象徴として扱うことの違い
タロットは象徴・シンボルで理解したり、メッセージを受け取ったりする仕組みのものです。
初心者にありがちなタロット学習の誤解は、カードの意味をとにかく暗記すれば読めるようになるという思い込みです。
それはカードを読むのではなく、カードに当てはめた単語を述べているに過ぎません。
それでしたら、究極的にはタロットでなくても、どのカードでも、いやどんな「モノ」でもいいことになります。
むしろカードの絵柄で意味を探るより、最初から白紙のカードに、自分で言葉や単語を書いて、それを裏向きしてシャッフルして選ぶようにしたほうが、はっきりしていいかもしれません。
それはオリジナなカードなので、まさに“オリジナルな”セッションやカウンセリング、相談に活用できる可能性もあります。
私はこれ(文字カードのようなもの、そういう読み方をすること)が悪いと言っているのではないのです。
何でも根本的にはそうですが、いいも悪いもありません。
いいか悪いかを決めるのは、自分自身か、ある一定の範囲で共通認識されている「規範やルール」のようなものによってです。
話がそれましたが、別にカードに文字を書いてみる方法も、カードの絵柄を象徴的に読んで解釈する方法も、目的さえしっかりしていて、その目的に適うものならば、手段としてはどんな方法でもいいことになります。
ここで、タロットを象徴して読むことと、単語のように暗記して意味を覚えることとの違い(問題)を、ある例で示したいと思います。
ある人が「進むか、そのままでいるか」で悩んでいたとします。
そこで、この人の前に、ひとつはタロットとして絵柄のあるカードを引いて、アドバイスを求める方法と、もうひとつ、先ほど書いたような、カードに絵柄はなく、言葉だけが書かれているものを引くことで、何か示唆を得ようとする方法が提示されたとします。
この時、この人は後者の文字カードのようなもの選択し、自分が引いたカードを開けてみると「前進」と書かれてあったと仮定しましょう。
そうすると、「やはりGOのほうがいいんだ!」と思うでしょう。
まあ、「前進」とあるのですから、まさしく文字通りです。(笑)
次に、この人がもしタロットもやってみたいということで、続いてタロットの一枚引きをしたとします。
すると、「戦車」が出たとしましょう。
最初に「前進」という文字カードを引いているので、タロットの「戦車」の意味がわからずとも、絵柄の雰囲気として、「進むことがよいような印象」を受けるでしょう。
これが逆だったらどうでしょうか?
最初にタロットを引くことを選択して「戦車」が出ました。しかも正逆を採用する引き方で、逆(位置)だったとします。(あるいは「吊るし」のような、絵柄からは停止状態ともとれるようなカードが出たとしてもいいでしょう)
次に文字カードを引くと「前進」というカードが出ました。
ここで、タロットの意味を言葉(記号のように単純に一単語のように覚えている場合)として、もし覚えていたのなら、逆位置の印象からしても、簡単にGOという意味を抱くことは難しいと思います。
しかし、文字カードは「前進」と出ています。
いったいどう解釈すればいいのか・・・たいていの人は迷ったり、混乱したりするでしょう。
これが実は、タロットを記号的・単語的に意味を覚えてしまってはまずいことの例えになっています。
普通、タロットリーダーは文字カードのようなものと一緒にタロットカードは引かないでしょうが、タロットを単語的な意味で覚えてしまっていると、脳内では、上記の文字カードとの矛盾と同じようなことが起こっていると想定できるのです。
つまり、単語で覚えている意味と、タロットの出方や印象、あるいは質問者の問いの内容・回答に、単純にあてはめることができないことの矛盾(葛藤)で悩んでしまうわけです。
人は通常は、常識的な論理思考、または因果思考(原因と結果の関係性が理解できるもの)で生きています。本当はそうではないのですが、表向きと言いますか、よく使っているのはそれです。
ところが、タロットの場合、上述の、文字カードのメッセージとタロットの示唆とが矛盾するようなことがよく起こります。
普通の意識と思考では理解不能であり、頭の中は混乱します。
しかし、象徴の世界では、表面世界で私たちが常識的に考え、とらえている世界での矛盾も、統合できるようなところがあるのです。
それは通常の論理ではないため、言葉や文字では表しにくいのです。(のちほど、言葉としても説明できるよう整理されてきます)
ですから、皆に見えて意味が共通で決まっている「言葉や文字」ではなく、個々人のイメージや心の世界で把握することになります。
言葉では説明しにくいけれども、印象・イメージでは真意は受けとっており、心では(なんとなく・抽象的でも)わかっているという感覚のものです。
時間で例えれば、普通は過去・現在・未来と流れていくと思っていますが、イメージや象徴の世界ではそれらがとっぱらわれ、過去や未来が現在・今に作用してきます。
過去のことで言えば、過去を今の問題と扱うこと(関係・リンクさせること)で、過去の自分の意識に作用させ、今を変革するということになります。
脳内では過去データの書き換えということを行っているのかもしれませんが、書き換えやデータアクセスのためには、次元や枠、常識を超えるための象徴やシンボルが必要なのです。
言い換えれば、象徴世界に飛ぶことによって、現実世界の自分では「できない」とか、「矛盾する」とか、「混乱している」「わけがわからない」「どうすればいいかわからない」とか思っている(考えている)ことを統合したり、解消したりしてすっきりさせ、再び現実世界に戻ることで、自分が生きやすくなるということです。
さらに言うと、イメージやイデア(理想)の世界・形而上の世界、目に見えない世界というような裏の世界と、現実的・常識的・論理的・合理的世界の表の世界があるのですが、裏の世界は、言ってみれば、すべてOKの世界で、そこには通常を超えた別の論理があり、だからこそ一見カオスでもある世界のようでいて、別の論理では極めて秩序だったオーガナイズされた世界にもなっています。
反対に表の世界、つまり私たちの普通に生きる現実の世界、常識の世界においては、一見整理され、秩序ある世界のようですが、そこからはずれたもの、当てはめられないことが起こった時は、存在するのが難しいほどのカオスになってしまいます。
「統合と分離」と例えてもいい「裏と表の世界」です。
分離で安定しているのが表ですが、分離しているがゆえに、その分離で悩むことがあります。
そこで裏の世界と接触することで、統合を果たすアイデアを得るのですが、あまりにそちら(裏)側の世界に没頭すると、そこはすべてがつながる印象世界ですから、まさに現実離れのような感覚となり、夢で生きるような物言いや表現になります。
場合によっては人のことと自分のことが区別がつかず、傷ついたり、ダメージを受けたりします。
忘れてはならないのは、私たちは肉体をもった分離の現実世界に(も)いるということです。「生きている」ということは、通常ベースがそこにあるのです。
ということで、最初に戻りますが、タロットカードを「象徴」として扱うこととは、ふたつの世界を統合することにつながり、同時に、分離で生きる現実世界において、別の観点からの納得感を与えることになります。
もしただの「言葉カード」として、意味を暗記してだけの扱いでは、今まで通り(以上に)の表の世界だけに自分を閉じこめておくことになるでしょう。
またタロットを象徴的に扱っても、偏った思いと活用をすれば、裏の世界の論理が極端になり、先述したように現実と乖離していくことになります。
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