現実と現実感(リアリティ)

現実」という言葉と「現実感」というのは、似ているようで異なります。

私はタロットリーディングの指導時に、この意味の違いを明確にお話し、クライアント・相談者の現実感に沿ったリーディングを心がけるよう、お伝えしています。

現実と現実感(リアリティ)の違いは、現実は普遍的な事実であり、現実感は個別(それぞれの個人)が思う「現実(実在的・可能的)」感覚です。

現実はどの人から見ても、そうとらえられる客観的事実のようなもので、物理法則や全員に適用できるルール、科学的・論理的事象そのものと言えます。

一方、私たちは一人一人、見ている対象は同じであっても、人によって感じ方・意味合い(づけ)は異なってきます。

極端なことを言えば、同じ黄色を見ていても、もしそれが10段階の色合い(濃度)にわかれているとして、Aさんは5度の色を見ているかもしれませんし、Bさんには8度の色を見ているかもしれないのです。

そもそも視力の違いがあるのですから、同じ形であっても、ぼやけたり、クリアーに見えたりするのは普通に起こっているところです。

さらに人には感情やそれぞれが持つ価値観がありますから、それが加わってくれば、客観的な物事・事実が、色眼鏡をかけたように、もっとバイアスがかかってくるのは当たり前だと言えます。

しかしながら、当人にはそれが事実や現実だと思えますので、それ(バイアスのかかった事実・事象)が一人一人の現実感・リアリティだと考えることができます。

いつも何か霊が見えるという人にとっては、その霊が存在する世界が、その人にとってはもはや現実です。

しかし霊の見えない人、霊を信じない人には、当然まったく見えないですし、自分の考えにも入ってきませんから、その人にとって、まさに霊は「存在しない存在」であり、その人の世界には霊はいません。言い方を換えれば、現実感がないのです。

このように、人は自分にとって現実感・リアリティのないものは、自分の世界において存在しなくなる(あるいは価値がなくなる)ので、逆に言えば、何か実現したいことがある場合、その実現イメージを自分にとっての現実感あるものに変えていかなければなりません。

例えば、収入が月10万の人が、月1000万というのを目指すとしても、いくらその願望達成へのイメージを抱いても、それに自分として現実感が伴わなければ、なかなか自分の世界で現実とはなりにくいわけです。

ここで重要なのは、個別(個人の範囲での)願望の場合、他人にとって現実感がなくても、あくまで自分にとって現実感があればいいということです。

他人から「そんなの無理だ」と言われたとしても、自分がすでに「実現できる」と現実感が濃厚になっていれば、叶う可能性は高くなります。

スピリチュアル的なことでも同じで、悟りとか調和とか統合のイメージも、まったくの空想とか、雲の上のこととするのではなく、自分の中で現実感のあることとして、体感したり、一瞬でもその境地を得たり、智慧のひらめきで届きそうな気がしたりする感覚になることが重要です。

また、もっと争いのない調和のとれた社会を目指すとか、貨幣経済の奴隷から逃れた誰もが自分の個性を活かした平和な社会を作りたいと願うのなら、その実現方法にリアリティを持たせることです。

上記のような、特に社会の変革を求めるような願いの場合、個人的願望とは違い、一人だけの力では困難なところがありますから、自分だけではなく、多くの人の現実感も変えていくことが求められます。

空想や理論だけでは、多数の人(が参加する大きな枠組)の現実感は変えにくいことがあるからです。

よって、「それは実現可能かも」と思わせる具体的な案などが必要となるのです。もちろん最初に理想やイデア、現実を超えるイメージを持つことも重要です。

物事を実現させたり、可能にさせたりするのには、理想と実践、夢に向かう具体的アプローチ、これらはセットとして考えるべきで、そのポイントは現実感の構築・感得となります。

簡単に言えば、自己改革とは今の自分の現実感・リアリティのフィールド拡大か、次元(レベル)の上昇ということになります。

スプーンが曲がることに、自分が現実感を得られれば(誰しも曲げられるという環境に身を置いたり、曲がることに当たり前の感覚が得られたりすれば)、きっとスプーンは曲がるでしょう。(笑)
※冗談のようですが、これは、能力開発や潜在意識系のセミナーなどで、結構、よく行われていることです。

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