手品師からの伝言
マルセイユタロットでは、大アルカナと呼ばれる22枚のカードがあらゆるもののモデルや象徴を示すと考えられています。
大アルカナにふられている数も無造作に当てはめられているわけではなく、その数と絵柄との対応、順序にも、システマチックなところがあります。
さて、その大アルカナで最初のナンバー「1」を持つのは「手品師」というカードです。
ウェイト版や一般的な名称では「魔術師」と呼ばれることが多いですが、それは絵柄の違いがあるからであり、マルセイユタロットのそれは「手品師」と呼称するにふさわしいことがわかります。
「手品師」は、最初に登場することと、手品を披露するスタイルによって、なかなか面白い演出方法をとっています。
そして、言ってみれば、この「手品師」は、これから歩んでいく自分自身の人生について、どう考え、どう扱っていくかを語っている(問いかけている)ように感じるのです。
同時に、マルセイユタロットという不思議なもの(ツール)の扱いについても、示唆しているものと考えられます。
先日、この「手品師」の持つサイコロについて、ブログに書きました。
サイコロが六面体できちんとした(規則的な)立方体を表すと同時に、出目自体は、振られる毎に偶然のものが現れるという二面性があることを語ったわけです。
このように、「手品師」には、その遊び感覚・ゲーム感覚ともいえる楽しさと、反面、何かを学び、熟達していくような修業的な意味合いが含まれている気がします。
タロットも、実は一般的には私たち日本人がイメージする「トランプ」のような、ゲーム(道具)として広まっていった面があります。すなわち、遊びやゲームとしてのタロットの側面が大きいわけです。
一方、これはたぶん日本人に多いと思いますが、タロットは占いの道具だと考え、そのために使うという方法もあります。
そして、精神的、統合的、秘教的、密儀的、霊的な象徴ツールとしてタロットを考察・使用する向きもあります。
ところで、タロットで占いをしたり、リーディングをしたり、タロットを教えたりする人で、商売として行っていいのかと悩む人がいます。
これもシンプルに「手品師」的に考えれば、比較的簡単に割り切ることができます。
それはゲームやアート(芸)をやっている、教えているという見方を採用することです。
タロットによる芸の披露とその方法の伝授です。そして、お客様にはその芸を楽しんでもらう。
楽しみと言っても、この芸はお笑いの意味の楽しみではなく、喜怒哀楽、発展と解放など、人生絵巻の縮図のような体験を、絵で理解してもらう(味わってもらう)性質の「楽しみ」です
タロットによる(お客様の人生の)紙芝居と言ってもいいかもしれません。
ただし、商売とするには、芸を行ってお客様からお金をいただくわけですから、お金をお支払していただくレベルにある「芸」でなければなりません。
芸として人に見せ、お金をいただく状態ではない(と認めている)のなら、まだ商売としてできません。「手品師」のカードのひとつの意味である、芸の習熟、芸を磨くことに力を入れてください。
しかし、商売ではなく、純粋に自分も人も楽しんでもらう芸の見せ方もあります。
その場合は、芸のレベルより、芸を行うことそのものに意味があるでしょう。
さて、もうひとつ、人生と「手品師」についてです。
人生は、設定されたひとつの「あるゲーム」だととらえるか、何かを達成したり、得たりするための修業の場だとみるか、「手品師」からは両方汲み取ることが可能です。
その選択も人それぞれです。おそらくマルセイユタロットで象徴する場合、それについて選択がきちんと決まるのは、「恋人」カードに象徴されるものに出会う時でしょう。
ただ、修業とゲーム、両方選択する(両方の意味合いでとらえる)こともできます。
それから、「人生は何でもできる、どんなことでも可能だ」という人がいますが、「手品師」を見る限り、現実的なフィールドにおいては、様々な絶対的(制限的)な法則が働くことが想定されます。
いわば、物事には限界がある(現実世界において)こと、カードの絵柄では「手品師のテーブルの範囲」のようなものがあるのです。
また、限界がある中て、生きるための道具は、例えば肉体とともに与えられていることも、「手品師」のテーブルに置かれた手品道具類から想像されます。
私たちは、その絶対的ルール(設定された世界)の中で、道具をうまく使いこなし、できるだけ自由に生きることが重要でしょう。そういう意味ではまさにゲームだといえます。
「手品師」のように、私たちはサイコロを振りながら、4つの道具で象徴される特質・ツールを持って、ゲームや学び・修業を楽しんで行くわけです。
それらの4つは、またほかのカードで表されているように、様々に変化していきます。
だからこそ、「手品師」は言います。
人生を歩むことでは、「タロットカード」を使うといいよ、と。(笑)
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