人生の意味と長期的・短期的視点
イベントの予告をしておきます。来月、10月31日(土)に、関東でマルセイユタロットの体験会を開催いたします。場所は神奈川県藤沢市(藤沢駅近くの会場)になります。
またリーディングを希望されたい方がいらっしゃれば、別にお時間を11/1(日)にお取りすることもできます。ご希望の方はお問い合せください。
普段は関西で活動しておりますので、関東地方のブログ読者の方や、マルセイユタロットにご興味のある方は、この機会に是非お越しくたさればと存じます。
募集と詳細につきましては、後日お知らせいたします。
それから、秋期のマルセイユタロット基礎講座(ハイクラス)は、10月は中旬、あるいは下旬頃から開始する予定(3ヶ月6回コース)です。受講をご検討されている方は、今ならご希望のスケジュールを組むことも可能です。お問い合せください。
また個人講義やグループ講義、スカイプによる講座(個人)も随時受けておりますので、お問い合せいただければと存じます。
さて、本日の記事です。
精神世界やスピリチュアルを志向する(思考でもあります)人にとっては、比較的人生を長期的視点で見ることが多くなってきます。
そして、結局、人生は学びなのだとか、いいも悪いもないのだとか、どんなことであれ幸せを感じればいいのだとか、結果より経験することに意味があるとか、さらには究極的には、もともと自分も何もなく「幻想」の中で生きているだけだから、人生の意味を考える必要もない・・・というような考え方になることがあります。
簡単に言えば、達観した感じとでも言えるでしょうか。
ただ、そうは言っても、毎日私たちは現実として、生身の感覚で、リアル(と思える)問題・課題に対処し生きています。
時には放置できない緊急的なことも生じます。
最近は食べなくても生きられるような人もいらっしゃるようですが、普通は何かを食べていないと生きることができませんから、そうした切実な「食べる(生きる)ための問題」もあります。
言って見れば、その日その日、つまり短期的には、達観したり、鷹揚に構えたりして暮らすことは難しいわけです。
さて、視点を変えまして、マイナスよりもプラス面で見てみます。
そうすると長期的な観点では、ある目的を達成することや、何が一番いいことなのかという「選択」に関しては、あまり意味をなさなくなります。
例えば、よい会社に入って良かったと思っていても、10年後にその会社が倒産してしまい、路頭に迷ってしまうということもあるわけです。
でも、その後、起業して成功したとなれば良かったように見えますが、起業の際に家族ともめて夫婦離婚し、成功したものの孤独な日々を送ることになったということでは、悪いようにも見えます。
ところが、その孤独を癒そうと、成功したことの社会貢献の意味も込めて、グループホームみたいな施設とシステムを提供したところ、仲間やパートナーと巡り会えて充実できた・・ということになれば、また「良かったね」ということにもなります。
「人間、万事塞翁が馬」のことわざの通り、長期的視点に立てば、何がいいのか悪いのか、それはあとでわかったとしても、短期的、その時その時ではわからないものです。
ですからスピリチュアル的にも、人生はよいも悪いもない、どんな選択をしても、神目線に立てば、本人なりにいつもベストなのだということも言える可能性があるわけです。
では、短期的視点に立つことは問題なのでしょうか?
人生、プラスもマイナスもないとするのなら、ある目的を設定して努力することは、一見無駄のようにも思えます。どう転んでも、いいも悪いもないのですから。
しかし、短期的なことでこそ、リアル・現実という、私たち、それぞれの人生ゲームでワクワクし、感情が揺さぶられる経験をするチャンスとなるのです。
時間限定・フィールド限定という設定は、ゲームをする者が興奮するうえでの重要なお約束、決まり事です。
「黒ひげ危機一髪ゲーム」みたいに、時間が来ると爆発してしまうこと、さらにナイフで「当たり」を引いてもドカンとなる恐怖を思いながら、ナイフをひとつひとつ樽に刺していくドキドキ感と興奮は、短期的な決まり事・ルール・束縛があるからこそ味わえるものです。
人生全体に長期的な目標を設定してもよいのですが、ゲームとして見た場合、むしろ短期的に、例えばある年齢までとか、この一年とか、この職場でとか、時間とフィールドを決めて、具体的に「なになに」の結果を出すという具合にしたほうが、人生に面白味が出るのです。
そもそも、喜怒哀楽の感情を味わうこと、そして同時に、その感情に振り回されて人生ゲームを台無しにしないようにするという、真逆の「楽しみ」を経験するのが、大きな意味での人生の目的のひとつだとも考察されますので、長期的視野とともに、短期的視点と設定、ある目的を達成しようという行動も必要だと言えます。
さらに付け加えれば、長期的には効率や近道、唯一のベストな選択というものは存在しないと言えますが、短期的・具体的なことには、反対に効率ある道、ベストだと言える方法もあると考えられます。つまり自分の選択が重要な意味を持つのです。
このあたりは、マルセイユタロットでは「恋人」カードと「神の家」もしくは「審判」との関係で象徴化されていると言えるでしょう。
あなたが何をやっても、どれを選択しようと長期的・神的にはすべて祝福といえますが、短期的・具体的(現実的)には、いい・悪いとか、効率ある・なしとか、最短とか遠回りとかの二元でジャッジされることがありうるわけです。
そしてどちら(長期的・短期的)の視点も、私たちの人生においては必要なものなのです。
かなり落ち込んだ時、どうにも迷い迷って道がわからなくなった時などは、長期的視野に立ち、無駄に人生を過ごしていると感じたり、何かを達成したいと思ったり、自分の価値を成果・形として見たい、出したいと感じたりした時は、短期的な視点でもって行動するとよいでしょう。
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