火と水の試練 個人所有・全体存在

ここ数年、日本と言いますか。世界的にも災害や気候・環境変動が多くなった気がします。

最近でも台風による関東・東北方面の水害、九州・阿蘇山の噴火とたて続けに起こっています。

被害に遭われた方には、お見舞いと、一刻も早い回復をお祈り申し上げます。

さて、このような状況を少しスピリチュアル的にタロットの象徴を通して見てみたいと思います。

今月の災害や自然の驚異にも顕著ですが、それは水害と噴火ということで、火と水の試練ととらえることができます。

マルセイユタロットにも、錬金術的な象徴とともにも、火と水の試練、あるいは浄化、破壊と再生ということが込められています。

火と水、そして試練と言っても、もちろん象徴なので、物理的なそれそのものではありません。(そういうこともありますが)

相反する要素やエネルギーによるぶつかりあい、混ぜ合わせ、さらには反応、融合、溶融、蒸留、抽出などによって、一度破壊されものが新たなものとして再統合される過程・プロセスを言います。

これが物理的にも精神的にも表れるというのが、錬金術的思想と表現です。

タロットの象徴から理解されることは、この錬金術的なプロセスによって人間の完成(しかし一時的には破壊であり、象徴的な死を経由することでもあります)が行われるということです。

これを個人個人の単位で見ることもできれば、人類全体としてとらえることもできます。

そうしますと、こうして起こる列島規模、ひいては地球規模で起こる災害、天変地異は、私たち個人はもとより、人類全体として、なにがしかの成長、変容を促していると見ることも可能になります。

タロットを見て浮かんでくるのは、「愚者」です。

「愚者」はこの錬金術的プロセスを経験する主体であり、変化の過程を楽しむ旅人です。

私たちはこれまで所有による区別によって、自分本意の満足感を得ていました。

何か(お金とか地位とか知識とか)を所有することで区別・差異を感じ、結局、所有意識を設けることで、不足する思いに満足・充足を得ていたのです。

所有(できる自由と多様さ)が、また成長だと信じていた節もあります。

それは一時代としては必要な考えであり、人類文化を促進させるためのモチベーションとなっていたところもあるでしょう。

しかし、所有はやはり区別と差をどんどんと生み出し、「持つ」ということ、差をつけるということに際限がなくなっていくおそれがあります。

本来完全性があり、区別もない人間の、分離感幻想を拡大・強固にしてしまう危険性があるのです。

さらにはひとつ場所やひとつの考え、一人の人など、ひとつのものにこだわり過ぎては、それを失ったときのショックも大きなものとなります。

勢い、失いたくないために、余計にこだわり、つまりは執着を持つことになります。

執着を持てば持つほど、失うかもしれない不安や、その対処・予防に余念がなくなります。言わば、自由さを失うのです。

結局、これも所有に囚われた姿と言えます。

ここで所有を自分一人という単位で考えるのではなく(つまりは自己の満足というレベルではなく)、全体の満足、資源や所有は全体にあると転換すると、逆に一人一人の所有はシンプルなものとなります。一人が持たなくても全体が持っているからです。

ですが、共産主義とはまた違います。皆が一緒ではなく競争はあり、それ(競争)はあっても、差をつけるためのものではなく、あくまで個性の違いとしてゲーム(遊び)的になされるものです。そして得たモノを失っても恐怖のない世界なのです。

失う恐怖がないのは、それが失われていない、失われたかのように見えるだけと実感しているからできることです。

ですから、個人単位での所有というより、全体所有に価値変換していくと、たとえ家が失われ、財産が失われたとしても、もともとそれは自分だけのものではないので、そうした概念がそもそも生じず、失う恐れ自体もなくなるということです。

現実的には難しいかもしれませんが、少なくとも、いつでも移動できる(旅人になれる)シンプルな生活を心掛け、モノ・心としての所有をなるべく少なくし、シェアしあえる生活環境に整えていくことで、よもやの災害にも強くなれるでしょう。

働き方も収入源も人間関係も多様にし、ひとつだけにこだわらない(実際できていなくても、考え方だけでも柔軟にしておく)ほうが気楽ですし、いざという時にも臨機応変さが出ます。

その地域だから、その人(たち)とだからできることもありますし、それが悪いわけでもなく、いい面もたくさんあります。

一方で、そうしたものにこだわらない生活スタイルもあるということで、自分を列島規模、地球規模でとらえてみましょうと、外側の(地球規模の天変地異の)環境が促しているとも言えます。

同じ事がたくさん(繰り返し)起こること、あるいは広い地域で起きることは、拡大意識、意識を広げることがメッセージとして隠れている場合があります。

マルセイユタロットでいえば、「愚者」と「世界」が並ぶような感じです。

私たちの意識の切り替えが、いやが応でも、環境側から促進されている状態と言えます。

火と水の試練、それはまさに「火(か)」「水(み)」、神からのメッセージなのかもしれませんね。

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