肉体以外の体から来る症状
先日はちょっと個人的に大変な事件があり、久々に衝撃を受けました。
まあ、これも必要な体験だったと思いますし、どんなことにもバランス的な思考で見ると、それに見合う恩恵があることがわかります。
とにかく、その事件でいろいろな方にお世話になりましたので、ここで改めてお礼申し上げておきます。
さて、今日は肉体的な痛み、心身の不調について、ある視点から考えたいと思います。
タロットリーディングをしていても思うことがあるのですが、心身のことは、医学的なものを超えたところでの原因や要因となっていることがあるように感じます。
別にタロットで治療してるわけではなく(それは法律上もできませんが)、あること(問い)と関連して、タロットを展開して読んでみると、そうした身体のことの話題になる時があるのですね。
精神・心のことは、よくわからないことはいまだ多いので、医学的にも分析しにくいのは事実でしょうが、肉体的なことでも、原因がわかりづらいことがあるのは、皆さんも経験していることでしょう。
そして原因不明なのに痛むとか、治らないとか、そうしたことになってくるわけです。
その場合、代替医療を施したり、精神的なことからアプローチしたりして解決する場合もあります。
それで治ったり、痛みが治まったりすることもありますが、それでも原因そのものはわからないままとか、推測の範囲でしかわからない状態という時も出ます。
ですから、原因と治療についても、いろいろな仮説も登場します。
今回の話も、そんな中のひとつとして受け取っていだたければと思います。
私たちの体は、目に見えている普通の肉体以外に、スピリチュアル的には多層の体を有している(多層の体で構成されている)と言われています。
いわゆる、エーテル体とかアストラル体とか呼ばれるものです。
この数は細かくわければかなりのものになるという説もありますが、大まかにわけると4つくらいだという人もいます。
それはともかく、もしそうしたものがあると仮定するのなら、私たちは物質的な見た目の肉体以外でのデータや記憶も受け継いでいると考えられます。
そこに損傷したものがあるとするのなら、そこから物質としての肉体に影響が出ることもあると想像されます。
ですから、肉体的には問題がないように見えても、ほかの体では「病」「傷」としてのデータとして残っていると、肉体的に痛みや問題として感じるのではないかということです。
この別の体の損傷データが、いつ、どのように発生し、どこまで受け継がれるのかという問題(設定)によって、現世のみのことから、過去生まで原因を追及することが可能かもしれません。
少なくとも、現世、つまり自分の生まれた歴史・生育過程において、感情的心理的なショックを受けていれば、それを記憶する別の肉体があり、それが物質的な肉体にまで影響を及ぼしていると考えることもできるわけです。
逆のことも言え、強烈に肉体に損傷や傷を受けると、別の体にもそれが刻印されて、肉体が回復しても、別の体では傷が残って、やはり痛むようなこともあり得ると見ます。
肉体の一部が欠損しても、かゆみや痛みがあるのは、別の体ではその部位が「型」として存在しいるからなのかもしれないのです。
仮に過去生まで含めると、その受け継がれたデータは、かなり深刻なものだったのかもしれません。
おそらく過去生から引き継がれるというのは、それだけ修復が転生においても難しかったか、引き継ぐ理由(カルマ的なもの)があったと考えられるからです。
なお、ここで注意したいのは、それはあくまでデータであるので、今の自分の人格とは別問題で、悔恨の念や罪悪感をもったり、要因と考えすぎたりする(悪いと思う)必要はないということです。
もちろんカルマ的に見れば、自分が引き受ける因縁というものがあるのかもしれませんが、やはり今の自分とは切り離して考えたほうがいいように思います。
そもそも私自身は、過去生と転生について、一人の人間のデータがそのまま未来生に、一人の者の中に組み込まれるとは考えておらず、ある宇宙的法則に基づいて、一見ランダムに見える形で、様々の人の記憶・データが混交されて転生されると見ています。
また時間の概念をはずすと、未来だけではなく、過去へも転生することはあり得るでしょう。
そう考えますと、ますます「自分」のせいでその傷を受けた、傷を与えたみたいな考えは、傲慢にもなり得ると思います。
ただ、データを受け持ったのはあるわけですから、無意味ではないと思います。
過去生療法やヒプノセラピーなどでは、それを思い出して、今の症状の軽減や消失に役立てることもあります。
いずれにしても、やがて物質的肉体だけではない、別の体の存在の確認と、それに関連するデータと修復技術も、おそらく開発されるものと思います。
その時、個人は一人一人切り離されたものではなく、データと体が相互に関連し合い、一人の問題が実はほかの人ともつながってるいことが明確にされるでしょう。
そして、それは人だけではなく、環境・自然・地球・宇宙ともつながりのあることがわかり、一層、人と自然、宇宙の調和的な発想と技術が進化するものと予想されます。
それには、マルセイユタロット的に言えば、「月」と「吊るし」に、非常に重要な示唆が隠されていると私は感じています。
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