ひとつのシンプルな悩み脱出法

何か心配ごとで不安になったり、時には思うようにいかない事(人)に対して、腹立ちや怒りが起こったりすることは、誰にでもあります。

悩むことは悪いことではありませんし、そもそも(ネガティブな)感情や思いが出ること、悩んでしまうことを止めるのも難しいことです。

ですから、これに対処するとすれば、起こる前から対策することと、起こったあと(感情が出た)の処置を工夫するということになるでしょう。

起こる前から対処するというのは、ひとつには、自分(の考えや枠、囚われなど)を変えて、従来だと不安に思ったり、心配したりするようなことでも、今は、前のようにはならないとする方法があります。

次に、起こったあとの処理の工夫ですが、これは意外と効果のある方法と言いますか、すごくシンプルでありながら、案外、私たちはやっていないことを述べます。

それは、起こったことは仕方ないと諦めることです。まさに諦観と言えましょうか。

何かの状況に対して、程度の差こそあれ、感情が出る(起こる)ことは仕方ありません。それを現在進行形(感情が起きている状態)でコントロールすることは極めて難しく、不可能に近いです。

ですから、いっそのこと、その出た後に注視するわけです。

そして、すでに起きてしまったこと、そのような状況になってしまったこと、経験してしまったことは元に戻らない(時間を物理的には戻せない)と、当たり前のことを当たり前に自分に言い聞かせます。

例えば、旅行を計画していて、晴れを願っていても、実際その日に雨になってしまったら、それが悔しかったり、残念だったりするかもしれませんが、それはそれで感情としては当然です。

しかし、ここで「天気なら良かったのに・・」「もしかすると、午後からは晴れるかもしれない!」「あいつが雨男・雨女だから、こうなったんだ!」「ああ、なんて不運、私はついてないわ・・」など、雨であることを悩んだり、雨になってしまった要因などを気にしたりしても、実は何も始まらないわけです。

とにかく、現状は「雨である」という、そのこと自体をしっかりと「受け入れる」ことです。

これらはシビアな現実視点ではありますが、だからこそ、一時の感情の嵐からも抜け出やすくなります。

マルセイユタロットでいえば、「正義」や「皇帝」の視線、あるいはその反応やアクションと例えることもできるでしょう。

余談ですが、マルセイユタロットは実にうまくできており、混乱した時の精神的・実際的対応が、きちんとカードの順番通りに象徴化されています。

言ってみれば、トラブルに対する処置がモデル図案化されているようなものなのです。本当に私もこれで何度も救われています。別にカードをシャッフルして引かなくてもいいのです。

さて、話を戻しますが、先の例のように、起こったこと、今の状況・事実をありのまま受け入れることで、ずいぶん問題意識は軽くなります。

ところが、この、「ありのまま事実を受け入れる」ということが、簡単なようで、私たちはなかなかできません。いや、忘れがちと言ってもいいでしょう。

それは、「思うようにならなかった」あるいは「想定外になった」「不快な状況になっている」ということで、理性よりも感情が先に立ち、いつものバランスを失い、一種の落とし穴のような、傾いた場所に入り込んでしまっているからです。

ただし、いきなり冷静になれ、というのも無理な話です。

冷静になれないのは、それだけ期待していたことではなかったということや、想定外のことが起こり、本人にはショックだった、感情的にどうしてもならざる得ないことを物語っているからです。

他人から見たら、なんでそんなことに不安になるの?、怒るの?みたいなこともあるかもしれませんが、当人にしてみれば、やはりショックでナーバスなことなのです。

従って、すぐに事態が受け入れられないということも、人間としては普通であり、自分がもしそうなっても、過剰に「ダメな人間だ」「何とかしなければ」と思う必要はないのです。

ショックに対して、さらにネガティブに自分を評価する(自分を下げる)ことこそが、実は抜けられないループを生み出す大きな要因なのです。

とにかく、習慣として、今からでも、「起きてしまったものは仕方がない」と、事実をありのままに受け入れ、そのこと自体(起こったこと自体)への後悔の念などは、あきらめるようにするとよいでしょう。

これは非常にシンプルなのですが、心を落ち着かせるには絶大な効果が、人によってはあります。

だからと言って、「仕方ない」とそのまま放置するのではありせん。

ひとまず、時間は戻せないことを強く思い直して、「ではこれからどうしたらよいか?」「この状況はひとまず受け入れた、次に自分はどう動こう?」みたいなことを考えていけばよいのです。

先のお天気の例でいえば、「雨が降っているのだから仕方ない」と雨天の事実を受け入れ、そこから「傘を持って出かけよう」とか、「訪れる場所を一部変えてみよう」とか、「旅行は今回はキャンセルし、次の機会にしよう」とか、仕切り直していけばいいのです。

言ってみれば、自分で変えられることと、自分ではもう変えられないこととを、きちんと分離して考え、行動するという方法です。

「体重が増えてしまった」そのことは今の瞬間に「痩せろ」と言っても、魔法使いではありませんから、そんなことはできません。

太ってしまったことを悔やんだり、スタイルが悪くなったことを悲しんだりすることはあっても、それをずっと思い続けれぱ、何も変わらないだけではなく、そのネガティブなエネルギーが自分を攻撃したり、執着となったりして余計事態を固定してしまうことになります。

上の例で言いますと、太ったまま、ますます変わらないか、余計に自分の思うネガティブな(悪い)姿になってしまうというものです。

何事も、予防したり、あらかじめ悪くならないようにしたりすることは大事ですが、気をつけていても不測の事態は起こりえますし、すべて自分の思い通りにいくものではないのが世の常です。

そこで、なってしまたものは仕方ない、起こってしまったものは仕方ないと、一度事実を受け入れ、諦めることで、新たな打開策や解決策も見えやすくなります。何より、深刻になりすぎることを防ぎます。

この一時的な諦観をすると、問題は意外に自分が勝手に重くしていることに気がつくことがあります。

そして自分を縛ったり、強く規定しているルールや法則、思い込みのようなものに思い至ります。

さらには、そうした自分ルール、自分のいい・悪いの価値観が、実は自分の運命も回しているのだと、発見できればしめたものです。

マルセイユタロットの「運命の輪」の表すところから言いますと、先述の旅行と雨の関係の場合、「雨を降らせている」のも、「自分自身の作る運命」がそうさせているとなるのです。

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