スピリチュアルメッセージのひとつの解釈法

このブログを読まれている方ならば、大なり小なりスピリチュアルなことに関心があると思います。

中には、スピリチュアルな能力を持つという方に、セッションを受けたり、メッセージやアドバイスをいただいたりした(する)という人もいらっしゃるでしょう。

スピリチュアルを志向する人たちの中では、こういったセッションやメッセージ(の内容)をどうとらえるかということが議論されることがあります。

すべて正しいと見る人もいれば、何とつながっているのかわからないので疑ってかかるべきだとか、洗脳されているとか、高次の存在や天使からのメッセージなのできっと自分のためになるとか、いろいろと言われます。

私自身は、まずタロットをしていることもあって、そもそもタロットの霊など、目に見えない存在や世界を、たとえ仮であっても想定しておかないとお話になりませんので、スピリチュアル的なもの・存在は基本信じています。

ただ、タロットを心理的な投影のカード(自分の心を絵柄として投影して見ることのできる装置)として考えるならば、スピリチュアルや霊的なものを考えなくても通る世界ではあります。

しかし、一方で、心理だけで考察していると実は袋小路に陥る危険性があるとも思っており、それはメルマガ(受講者・修了者用)や講義などでもお話していることです。

とはいえ、最初のあたりは心理の世界での考察や、心理カードとしてタロットを見たり、扱ったりすることでも十分効果はあると言えますし、精神的にも安全だと考えられます。

実は、心理カードとして扱うのであれば、別にタロットでなくても効果はそう変わらないでしょう。

場合によっては、自分でカードを作ってもよいかもしれません。

言ってみれば、ある程度、絵柄的に、人生や人の心模様をシーン別に描いているのであれば、何でも心理カードとしては使えるという意味です。

人の心の(反応)パターンは、一見バラバラなように見えて、その実、ほとんど同じだからです。時代が変わっても、国籍や人種、性別が違っても、ほぼ同じパターンだと言えます。

わかりやすく言えば、例えば、程度の差こそあれ、誰でも喜怒哀楽の感情や現れはあるということです。

だから、心理カードは作りやすく、誰が作っても、だいたいは人の心のパターンを必然的に描きだすわけです。

ところが、タロット、ことマルセイユタロットにおいては、心理カードという世界の範疇では収まり切れないことがあり、それは心理以外の目に見えない事柄、「スピリチュアル」と一般に考えられる世界に通じていかないと本当の理解はできないと感じています。

それはさておき、スピリチュアルメッセージや鑑定を受ける時で、お勧めしたいのが、言われたことや浮かんだものを象徴的にとらえるということです。

言われたり、受け取ったりしたものが正しいか正しくないか、あるいは、そのスピリチュアルな能力がどれほどで、いったい何から出ている(つながっている)かというようなことを「具体的に」考え出すと、キリがないからです。

本当は審神(さにわ)のような、ついている存在、言っている内容を判定・判断する人がいるとよいかもしれませんが、なかなかそういったことは難しく、またそれにこだわると、制限も多くなる気がします。

そこで、すべてを「象徴」と考え、言われた言葉、浮かんだ映像そのものをダイレクトに信じるのではなく、たとえ具体的であっても、いったん抽象的に本質だけ汲み取るようにして受け取るとよいと思います。

例えば、ふたつの仕事や二人の人の間で選択に悩んでいて、スピリチュアルリーダーやメッセンジャーから、「Aという仕事・人を選んだほうがよいと出ています」と言われたとしても、それはAそのものの選択というより、両者を比較して、Aというものが表す本質を見よ(逆にいうと、Bというものの表面にも注目せよ)という具合に考えるわけです。

「要するに、気持ちが明るくなるほうなのね」とか、「結局、私は何も本当は見ていなかったわけなのか」とか、そうした物事の本質を象徴的にとらえるわけですね。

だいたい象徴(大きな、あるいはひとつの括りにまとめてしまう抽象次元でもあります)で見ると、スピリチュアルな人や占いをする人など(結局は象徴を扱う人ということになります)、誰に相談しても似たような方向性や結果になります。

個別や具体次元になればなるほど、カラー(色)が出て、違いが詳細に出てきます。従って、具体的なものでメッセージを得ようとすればするほど、それこそ、間違いという(枝分かれした違う道の次元に迷い込む)確率も高くなるのです。(逆に、当たる当たらないの、ピッタシはまる具合も際だちます)

そういう意味では複数の人(技術)に相談したり、試したり、スピリチュアルな人からのメッセージを受け取ったりすると、象徴性が高まりますので、そうした方法(複数の人に、あるいは複数の技術で見てもらう)を選択するのもありかと思います。

ただ、自分自身、象徴というものを学び、そのとらえ方・見方を経験としても蓄積していったほうが、より本質への理解は早く、確実になると言えます。

それは普段から私たちは、具体的なもの(情報)を欲し、それを求めて行動する生活に慣れてしまっているので、なかなか象徴的に物事を把握するということが最初は困難だからです。

例えば、「向いている職業は音楽家で、それもトランペット奏者です」みたいな言い方・答えがほしいし、それを言われると安心するみたいなことです。

しかし、世の中はすべて、ある意味、象徴なのです。

具体の世界はもちろんありますが、その次元だけで考え・行動していると拡大と発展、あるいは脱出や解放も難しくなります。

上の例で言えば、「トランペット奏者になる」と強く決めて行動することは、時にその道での成功も呼びますが、反面、それしかないという限定と固着(執着)を生み出します。

仮にほかの楽器の才能があったり、音楽でも奏者ではなく、作曲や舞台演出、出版など、関係する他分野での活躍が向いていたりする可能性もあるかもしれません。

具体にこだわると、その多くある可能性をつぶしてしまうことにもなりかねません。

音楽という「象徴」は大切にしながらも、自分は音楽の分野で何を表現したいのか、関わりたいのかという本質を知ると、方向性は確固としながらも、柔軟に生きていくことができるのです。

ですから象徴を学び、理解すること(象徴を使うこと)は、人生においても大切になってくるのです。

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