「力」と願いの叶え方との関係
タロットには「力」というカードがあります。
マルセイユタロットでは、ライオンを手なずけているかのような女性とともに描かれています。
「力」というカードの名前から、この女性は目一杯力ずくでライオンを押さえつけているかのように思えますが、よく見ると、そんなに力が入っているようには見えません。
これは私たちの想像しているパワー的な力とは別のものだということがわかります。
一方、このカードを見て思うのは、普段私たちは、力が入りすぎているということが多いのではないかということです。そのために、うまく行くこともうまく行かなくなくしてしまっていると。
スポーツでも武道でも、脱力することは本当の力を発揮するうえで、とても大切だと言われます。
精神的な面にしても、何かを達成しようと力み過ぎると、かえって失敗したり、緊張したりしてしまいます。
しかし、成功系やスピリチュアルな話では、強い願い(思い・意識)が必要だとも言われます。
そのため、夢を叶えるためには、思いを強く持ったほうがよいのか、持たないほうがいいのか、悩む人も出てきます。
この手の話で、私がよく言っているのは、一人一人、方法論において違うということです。
全員にあてはまる具体的なものはなく、逆に言えば抽象的・漠然とした次元にまで上げれば、皆に当てはまるようになるものも出ます。
ですから、何かを叶えたいということでは、おそらく何らかの思いは持ったほうがいい(思いがないと、そもそも目的が決められませんから)ですが、その強さや思う期間は、人それぞれ、まちまちであると言えます。
強く願い続けることで叶うことが多かった人は、それが自分には合っていますし、運任せのように、ラフに進んでいれば自然に叶っていたという逆の場合は、それが自分の願望達成法としては向いていることになります。
まあ、それはさておき、脱力やあきらめが、時に目的や願望の達成に効果があることは確かで、それは「力」のカードに象徴される、力の扱い方にもヒントがあるように思います。
特に深刻に物事を考えがちの人、あることに強い関心とフォーカスをしていて、もはや執着のようになっている状態の時は、バランスが崩れており、力のかけ方がおかしなことになっているのだと推測されます。
マルセイユタロットの「力」は、フランス語でフォルス、英語ではフォースとなり、確かに物理的・肉体的な力のような意味もあるとはいえ、気力や勢力というような、目に見えないものが広がっていくイメージもあります。
そして、このカードは、「世界」や「手品師」のカードとも強く関係します。(マルセイユタロットの場合)
そこから考えると、要するに、力を世界にする、世界を力にして、仕事(現実の作業、実際に叶えたい事)に活かすということになるでしょう。
何を言っているのかわからないと思いますので、もう少しわかりやすく言えば、力を集中するのではなく、自分の周囲に拡散して、そのエネルギーフィールドのような磁場でもって、相手や周りを自分がコントロールできる世界にしてしまうということです。
漫画・アニメでワンピースが好きな人には、トラファルガー・ローのオペオペの実の能力、「ルーム」にしてしまうという感じで思っていただければわかるでしょうか。(笑)
「手品師」のテーブル内、「力」のライオン、「世界」のリースで囲まれた空間(「世界」の場合は4つの外側の生き物も含みます)が、コントロールできる場として共通なのです。
強く思いを持つことは、ドリルのように一点集中してパワーを溜めることには向いていても、ある特定の場に、自分の勢力を及ぼさせるという意味では不向きです。
しかし、その前提としては、エネルギー・フォースを集め、実感することは大事なので、最初は強い思いや意識は必要だと考えられます。(まるで「スター・ウォーズ」のような話になりますが)
そして一度集まったフォースを、自分が脱力することでふわっとエネルギー磁場のようなものを周囲に作り出し、それによって自分が世界の中心(創造主のような形)となりますので、願いを叶えたり、思うような結果を出したりすることが可能になるとイメージできます。
「あきらめ」が効果を持つのも、無駄にバランスを崩した力のかけ方が、あきらめることで脱力し、一端のリセットを呼び、自分と外の世界の垣根をなくして、内外調和することに要因があると考えられます。
言わば、自然や宇宙、神にお任せの心境です。
それは意識する力と意識していない力の融合であり、結果的に「自分を世界にする」ことと同じなのです。
なかなか願いが叶わないという人は、一度、いい意味で「あきらめてしまう(強い思いを手放す)」のもひとつの方法です。
一見それはあきめているようでも、本当の「力」は自分の内にあると気づく作業でもあります。
自分の内にある「力」は、実は外にも同じように遍在しているものであり、そのことが意識できれば、自分は大宇宙に比してちっぽけな存在でもありながら、同時に巨大で大きな力に満たされていることにも気がついてくるでしょう。
願望達成の真の意味は、自分がいかに大きな存在であるかを自覚するための単なる手段ではないかと、私はタロット的には考えています。
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