前世の考えをどう扱うか。

タロットをしていると、前世というものについて聞かれることもあります。

前世についてはいろいろな考え方があります。

そもそもそういうものはなく、人生は今生きている限り、死後の世界なんてないという完全否定派もあれば、同じ魂が何度も生まれ変わることを信じている人まで、様々です。

前世があると言う人でも、同じ魂なのか、別の魂の記憶の集合体や人間以外のほかの生命体も含むのか、転生する時間も、未来に向かう方向だけではなく、過去に転生したり、同じ時をループし続けたりするとか、様々な種類が存在します。

死んだらわかると言えばそれまでですが、もしかすると、死んでも全容はわからないのかもしれません。

生きている時、催眠やある種の変性意識、覚醒体験などによって前世のビジョンを見ることがあります。

それが果たして自分の過去世なのか、あるいは単なるイメージなのか、ほかのものなのか、証明することは難しいです。

ただ、そうやって「思い出したイメージや記憶」をもとに、調査してみると、実際、過去にそのような人が存在したり、体験があったりしたことは事実としていくつか例があるようです。

だからと言って前世・過去世が存在するかという点はまた別となるでしょう。

しかしながら、前述のケース(過去の事実を知らない現在の人がソースや情報を得ることができたケース)から、私たちは何らかの形で、知らない過去データにアクセスすることができる場合もあると言えるのかもしれません。

過去の記憶やデータが、今の自分の心や行動に影響を及ぼしていると考え、それを思い出すことで、現在の悩まされている症状を消失させたり、行動制限を解除したりすることができるのであれば、それはよいことでもあります。

この場合、前世があるとか、前世の記憶が事実であるとか、それについての真偽を問うよりも、現実につらい状況にある人が癒されることに意味があると考えることもできます。

多かれ少なかれ、私たちは自分を洗脳しながら(思い込ませながら)生きているようなものです。

言い方を換えれば、起こった事実を自分の価値観や設定で解釈して生きているということです。

ですから、前世とそれに影響されている自分という設定・ストーリーによって、自分を救うことができるのなら、それもまたひとつの方法・療法と言えます。

とはいえ、逆に、悪い方向に傾くこともあり得ます。

それはあまりにも前世と今の自分というストーリーに、関連性とリアリティを持たせてしまう場合です。

これが治癒や癒し、浄化、自由なる自分に向かうためになる場合ならよいのですが、前世に逆に<囚われてしまい、今の自分を縛って不自由にさせることになるのでは本末転倒です。 例えば恋愛では、「この人とは前世でも特別な関係にいた」と思い込むことで、運命論的になり、DVを受けたり、相手にとっての都合の良い関係でいいように利用されたりすることを肯定してしまう罠にはまっていくケースもあります。 また変なカルマ論に取り憑かれ、「私が不幸なのは、前世で悪いことをした報い」だとしたり、「この人にはひどいことを前世でしたようなので、今生は尽くさないといけない」と思ったりする人もいます。 仮に前世が事実だとしても、今生のあなたはと前世のあなたが全く同じ人ではないはずです。時代も背景も生き方も姿形も思想も考え方も違うわけです。

そこに関連性を見出すかどうかは、ほぼあなたの思い込みでしかありません。

私自身は、前世記憶というのは、一人の魂の記憶の蓄積とは限らないと考えてえり、言わば複数や、特には別次元も含む断片記憶の集合体によってできていると想像していますので、なおさらそう感じます。

ならば、逆に思い直すこと(自分の考え次第)で、関係がないと切り離すこともできるわけです。

どうしても前世を信じたい、関係をもたせたいという人でも、では、何のためにその記憶を思い出して今にいるのかということです。

おそらく、こういう(前世のような)人生にしたくなかったということではないでしょうか?

ということは、自分は前世の出来事に囚われず、もっと自由に悔いのないように、新たな人生では生きてみたいとなると思います。

ですから、今生こそがまさにあなたの人生そのものであり、これしかないのだと思って、今生のあなたらしく生きればよいのです。

前世の記憶やデータが、より自由に生きたい今生のあなたのために役立つのであれば、利用するのも時にはありかもしれません。

しかし、反対に前世の記憶が障害や囚われとなるようでは、そんなものはないほうがましでしょう。

こういったこととは別に、仮に前世(あるいは未来の記憶が)ある場合、個人的には、ある特定の時代ループというものが一番恐ろしい(問題)という気がしています。

このループには、特定の期間だけではなく、同じ状況で時代や設定が異なるという、違う形でのループがあると思っており、どちらにしても、その脱出は、グノーシス的には大きなテーマであろうと推測しています。

そして私たちの多くは、これに、はまっている気がしています。

ただまあ、大きな話となりますので、この話はまた別の機会に譲りたいと思います。

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