現実的で、ちょっとだけ冒険的な夢。
夢を持つのはいいことです。
マルセイユタロットの「愚者」のカードは、いつも壮大な夢を抱いて歩いていますので、その顔は上を向き、文字通り、気分も上向きであると言えましょう。(ただし、心理的に自分がそういう気分でない時は、「愚者」はまた違った顔に見えるようにも工夫されています)
よく、夢を壊すようなことを言う人、批判ばかりする人の前では、自分の夢を語らないほうがいいと言いますが、まったくその通りで、大切なのは、夢そのものの実現度や可能性ではなく、夢を語っている時の気分・気持ちなのです。
そのようなワクワクしたり、乗ってきたりするような感覚・感情は、普段はなかなか味わえないものであり、それが自分に起こっていることを楽しむのが重要と言えます。それを害されるのは、貴重な機会を失うことにもなり、もったいないことです。
スピリチュアルな世界で、いわゆる「波動」と称したりするもの、それが全体に、いい意味でも悪い意味でも影響するからです。
夢を持つ・語るということは、現実的な意味での目標の計画(と達成)の場面とは別のシーン(次元)にいるのだと、夢を聞く側の周囲の人も思っているとよいでしょう。
さて、それでも、あまりに非現実的な夢の話になりますと、かえって周りの人が興ざめしたり、醒めたりしてしまい、その雰囲気が伝わって、自分の夢もしぼんでしまうことがあります。
ということで、中間の夢と言いますか、夢だけれど現実的なもの、平たく言えば、本当に叶えることのできそうなリアリティある夢というものを抱くのも、一面ではアリです。
この場合、少し背伸びすれば届く夢というのがポイントです。
象徴的に見て同じことではあるけれども、その規模や距離を縮小したり、時間を速めたりすることができるようなものにするということです。
そして現実的ではあっても、これまでやったことがないもの、行ったことがない所というように、未経験なことにチャレンジするのも重要で、だからこそ夢とも言えるのです。
例えば、何か人のサポートをする仕事がしたいと夢を持つ女性がいたとします。
今までは主婦で、パートタイムなどで働いたことはありますが、自営や起業とは無縁だった人です。
そしてこの人が、たまたまタロットに出会い、タロットを学ぶことによって、タロットリーダーになりたいと思ったとします。
ただ、これで独立するというより、生活としての経済面はご主人の収入を基本とし、その他、自分の活動のための費用を、タロットリーディングの収入で補助していくという中間的な夢を持てば、これはかなり実現度が高いもの(現実的な夢)と言えます、
また自分が何の能力も特技もない普通の人間だと思っている人が、何か特技を身につけて、自分と他人に貢献したい(自己評価を上げたい)という夢を持ったとします。
これも、仮にこの人がタロットを知って、そのリーディングによって人に役立てるということを、まずは友人や知人、その紹介のつてなどの範囲の人に始めれば、大きな夢ではありませんが、本質的には最初に願った夢に近づいていることになります。
しかも、現実的にその段階(中間の夢)のものならば、叶う可能性は高いと言えます。
ほかにも、タロットによって、現実的な夢を叶えられることは、意外に結構あります。
ここではタロットを例にしましたが、もちろん、ほかのことでも可能です。
要するに、壮大でビッグな夢もよいのですが、現実的な夢も見て、それに向けて行動してみましょうということです。
でもそれ(夢)は、勉強や仕事で言うところの「目標」のようなニュアンスではなく、先述したように、やはり当人にとっては少し冒険的でチャレンジするものであり、今までの自分では踏み出せていなかった領域や段階、未知なる分野ということが大事です。
言い換えれば、義務(感)ではなく、アドベンチャー気分が含まれるものというわけです。
そうしたものがセルフイメージを変え、実は大きく自分を変化させるきっかけとなる場合が多いのです。
人はあまりにも自分と関係ないもの、かけ離れ過ぎたものには興味を持つどころか、無関心になったり、あきらめてしまったりしがちです。
自分でもできそう、叶えられそうという、手の届く現実感が意欲(モチベーション)を起こすのです。
これらはマルセイユタロットでは、象徴的に「杖」「棒」、柱状のものとして表現されています。
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