物事や人生を重たく考える人に。
タロットリーディングをしていますと、クライアントとしても、タロットリーダーとしても、どちらにしても、問題を大きくとらえてしまう人と、逆に楽観的に見てしまう人の、ふたつの傾向があるように感じます。
総じて、一般的な価値観で見ますと、問題を比較的軽く考え(この場合の軽くというのは、事をないがしろにしたり、適当に扱ったりするというのではなく、重く考えないという意味です)、楽観的に人生を思う人のほうが幸せであるように見えます。
人は自分の思い方によって自分の人生を決めている、創造しているとも言え、ある意味、当然といえば当然なのですが、「人生は楽で簡単だ、シンプルだ」と思って生きているほうが、まさに人生は楽で簡単なものになり、「人生は大変でつらいものだ」と思っている人は、その通り、苦しく大変なものになるのでしょう。
言ってみれば、自分の思いや考えを証明しようとするために、外的な環境を、その自分の思いに沿うように自分が選択し、創り上げているようなものです。
鶏が先か、卵が先かの話みたいですが、「苦しく思うから苦しいことが起きる」のか、「苦しいことが起きているから、苦しく思う」のか、普通は後者と考えるわけなのですが、スピリチュアルや心理の世界では、割と前者の説が言われているものです。
そういうわけで、普段から心を軽く、楽しく、シンプルにできれば、人生そのものもワクワクで楽なものになっていくのだと主張する人も出てくるわけです。
確かにこれも、人生を楽しく生きるためのひとつの手段・方法と言えるでしょう。
日本語(の音)は面白いもので、「思い」というのは「重い」に通じ、つまりは重さ・重力のようなものも思考によって現れると感じます。
楽で軽い思いは、本当に重さも軽く、心が重たく感じるほどの思いは、文字通り、実際に重いわです。
ですから、思いが強くて重いものは、かなりの重力を持ち、プレッシャーのかかる人生環境が自分に創られるということになります。
それではやはり軽く楽しく考える・思うのがいいとなりそうですが、私は必ずしもそうとは言えないのではと考えています。
と言いますのは、自我といいますか、表面的・社会(世俗)的自分で見た場合は、確かに楽しく重たくない人生でありたいと思えますが、魂レベルで見た場合、果たしてそうなのかということなのです。
もしかすると、重たくプレスをかけたほうが、本当の意味(魂)でワクワクし、楽しんでいるのかもしれないのです。
人生をゲームで例えますと、ゲーム(クリアー)があまり楽にスイスイと進んでしまっては面白くないでしょう。
逆に難易度の高い、ちょっと障害やブロックがあったり、ハンデがあったりしたほうが、それを乗り越えた時の楽しさや爽快感も段違いかもしれないのです。
これに関係しますが、マルセイユタロットに込められている思想や、宇宙神話を考察していますと、かつてダリル・アンカ氏のチャネリングでバシャール(宇宙存在・宇宙人と言われている波動)が述べていたことを思い出すのです。
それは、「地球人は、自分たちのことを、まだまだ未熟で、学校でいえば幼稚園や小学生レベルだと思っているかもしれませんが、実は大学生、いやそれどころか人生のマスターとして、自ら意志で選択して地球に降りた魂の人たちなのです」というような内容のものでした。
つまり、私たちは、宇宙的にマスタークラスの魂をほとんどの人が持つのですが、そのために、あえて困難な条件と設定の星(地球)に生まれることを選んだのだというわけです。
そう考えると、重たく人生を見てしまう人、深刻にとらえてしまう人、つらく困難な人生を送ってしまう人、何かいつも人生に空虚さを感じ、真理や真実を追い求めてしまう人などは、本当は簡単に人生を楽に生きていくことができるはずなのに、あえて魂レベルで困難さを選び、その経験とエネルギーを宇宙全体にデータとして残そうとしているのではないかと思えてくるのです。
強烈な重力に対抗できる力を得る時、どんなネガティブなものが宇宙にあってもそれを打ち消したり、浄化したりする能力を獲得できるかもしれないのです。
「地球での経験のことを思えば、これくらいは何でもないさ」みたいなことです。
マスターのマスターたるゆえんの修行(使命)と、宇宙貢献のために派遣されたのが我々、というように思っていれば、大変な人生も何か面白くなってくるものです。少なくとも、自分の生きている価値を思うことはできるでしょう。
もちろん、別に人生を重たく考えず、現実的な意味で、楽に生きることは悪いわけではなく、そのほうが楽しいはずですから、重たい人でも途中からそちらに切り替えて、選択していくのもありでしょう。
宇宙人とか言い出すと、眉唾でとんでも説みたいなものになりますが(苦笑)、言いたかったことは、人生を深刻に重たくとらえてしまう人がいても、それは魂レベルで見ればむしろ喜びのようなことがあり、自分の人生を嘆いたり、必ず修正しなくてはならないと思いこんだりしなくてもよい場合もあるということなのです。
コメントを残す