マルセイユタロット、小アルカナと親しくなる。
私はマルセイユタロットを習った時に、大アルカナ(22枚の絵柄のついたカード)中心で使う方法と言いますか、流派だったので、どうしても小アルカナと言われる、ほかの56枚のカードたちと疎遠な感じが長い間続いていました。
最初にマルセイユタロットを教えるようになった頃は、まだある流派に属していましたから、あまりその状態は変わっていなかったと言えます。
しかし、そうした中でも、私は探究好きなので、例えば、生徒時代でも、関西における勉強会(これは今でも続いています)の時に、なるべく小アルカナを使用したり、そのリーディングについて、皆で検討する機会をあえて作ろうとしてきました。
そして流派から離脱、独立することで、否応なく、自分自身での研鑽、独自の道を歩まねばならなくなりました。
その結果、小アルカナとも向き合う時間が増え、今では、本当に小アルカナの世界も楽しくなっている自分を自覚します。
大アルカナは深く、また非常に広範囲で高度な内容を示すのですが、小アルカナは単純ようでいて、とてもバラエティに富み、すごく現実的・リアルなのです。身近な存在といってもいいでしょう。
それは頭で理解するだけではなく、心でも感じるもので、その両方が必要です。
マルセイユタロットリーダーや、マルセイユタロットを活用しようとする者は、どうしても小アルカナ、中でも数カードの記号的・トランプ的ともいえる絵柄になじめないところがあります。
いや、なじんではいても、読めない、活用できないといったほうが正しいかもしれません。
ここで、私自身が小アルカナとつきあってきた経験から言わせていただければ、まず、単純に、小アルカナと仲良くなることが重要です。
タロットの世界では、カードを人間のように扱って、自分と関係をつけていくという考え方があります。
そこから言えば、実際の人間関係のように、人を理解し、お近づきになるために、当然、相手とよくコミュニケーションしたり、時間を過ごしたりする必要があります。
ですから、小アルカナによくふれるようにすること、目にする時間を多くすることが大切なのです。
しかも、小アルカナは、実は私たちの現実世界を象徴しているものであり、次元でいえば低いのですが、それだけダイレクトに生活時間と空間に関係してくるのです。
言い換えれば、実際の生活において変化を及ぼすには、打って付けのカードたちなのです。
ここは厳密にいうと、変化を与えるというより、変化を見るというほうがふさわしいかもしれませんが、このあたりの微妙な感覚は講座やセミナーで説明したいと思います。
平たく言えば、小アルカナは占い的に使える世界だということです。
この占い的な世界は、人間のリアルな生活意識を安心させたり、逆にワクワクさせたりする意味では、重要な役割があるのです。
しかしながら、一方で、この小アルカナの世界に埋没してしまうと、意識が現実次元に固定され過ぎ、肉体や物質を超えた心理的・霊的な世界に飛翔することが難しくなります。
だからこそ、大アルカナの世界があり、大アルカナによって次元を転移するように、マルセイユタロットはできています。
マルセイユタロットが大アルカナと小アルカナで絵柄も構成もまったく違うようにしているのは、その違いを明確に示唆するためと考えられます。
その観点では、本当に数あるタロットの中でも、最初にマルセイユタロットを本格的に学べたのは、自分自身にとっては大きな天(と地)からの恩恵だったと実感しています。
もちろん人には個性があり、それぞれの学びや発展において、ふさわしいタロットと出会う(タロット以下のことでも)ようになっているものと思います。
私にとっては、マルセイユタロットが良かったということです。
話を戻しますが、そして今回の記事の終わりになりますが(笑)、マルセイユタロットの小アルカナは現実やリアルな世界と結びついていますので、あまり理想的・宗教的・精神的と言いますか、ピュアで高次に考えていくよりも、欲望渦巻いたり、ちょっとてした夢を見たり、お金やモノなど、実際の生活において関心が及ぶものと意識でとらえていくといいと思います。
そして、私たちの現実世界は、ある意味、ゲーム的なところがあります。
ですから、小アルカナはゲームとしてのトランプのように扱っていくと、なじみやすくなります。
ちなみに、マルセイユタロットの小アルカナは、ほぼトランプカードと同じ構造をしていますので、その点でも共通しているのです
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