自分をふたつの意味で殺さない。

このブログを読まれている方ならばご存じだと思いますが、以前、私は公務員をしておりました。

公務員といえば、不況や不安定な時代になると、特に親御さんなどからは人気職として見られるお仕事です。

利潤追求ではなく、公共の福祉やサービスを提供したり、向上させたりすることが中心ですから、競争ごとが嫌いな、スピリチュアル傾向の人にも、本質的には合っている仕事だと思います。

と言っても、どんな仕事でもそうですが、楽な仕事でなく、さらに民間に比べて、しきたりや制度、法律やルール・規則、先例にならうことなど、内部的には葛藤がとても多い職業です。

外部への仕事というより、内部同士の仕事も異常にあるのが、また公務員の特徴ではないでしょうか。

ノルマや売上達成のための激しさで苦しめるのもつらいですが、がんじがらめで、時にはいじめのような環境の中で、精神的につらいというのも厳しいものです。(残業の長い職場も普通で、加えて体力的にも大変でしょう)

ですから本質的に自由を求める人、精神的な束縛を嫌う人、効率や正義を求める人には、結構大変な職場なのです。

最初はスピリチュアル傾向の人には合っていると言いましたが、実は、自由の観点で見ると、まったく逆となります。私が結局、公務員を辞めたのも、心の解放を欲する魂のようなものが、強くあったからではないかと最近思います。

多くの人は、経済的安定、世間体、その他もろもろの常識的な観点と、まじめに生きていくために、自由が選べない環境を選択しています。

これは現実的には仕方のないことでもあり、とても立派なことだと私は思います。

しがらみや葛藤の中で、確かに人は鍛えられ、成長もします。

また苦しいことばかりではなく、何かの制限があるからこそ、その中でできること、達成できたことは、喜び・感動もひとしおのところがあります。

また「自由」ということと、「楽をする」こととは、似ているようで全く異なります。

どんなもの(環境)においてもそれ相応のバランスと責任が働きます。時間の自由は得たものの、経済の不安定さや、孤独を味わうことになったという場合もあります。

そうした、どんな状況にも働く「バランス」を思いながらも、公務員を辞めた私が、自分を事例として言いたいことがあります。

それは、自分を殺しすぎてまで生きる価値はあるのか? ということです。

「殺す」というのは象徴的でもありますが、実際的なことも言っています。つまり精神と肉体(現実的な意味での生命)の両方であり、心が死ぬのと、命が絶たれる死をもたらす「殺し」です。

私はうつ病と神経症を併発し、相当な苦しみを味わいましたが、おかげで、生きる意味と方向性の価値転換を強制的に行うことになりました。

ただ、その過程で、復職と休職を繰り返し、一番苦しい時は、自殺しようと本当に思ったことが一度や二度ではありません。

仕事自体が死ぬほどつらいものではありませんが、このような状態になってまで生きていく自分に対して疑問が出たわけです。

これは一人一人感じ方が違うので、ある人にとって耐えられても、ある人にとっては死に等しい事もあり得るのです。誰かと比べて我慢や辛抱が足りないと、自分を追い込むと、ますます泥沼となって「殺し」が続きます。

自分の生き死にまで考えるようになると、それはもう、仕事を全うするとか、安定とかという次元を超越した話になってきます。

心身ボロボロになって、死ぬことを考えて仕事に行く、毎日苦しく生きていくというのは、本当に仕方ないことなのか、その状態でいいのか、考えてみるべきだと思います。

耐えればいいとうのではなく、環境が本当に変えられないかを検討し、自分が苦しく、大変であること、とても今の状況ではまともに働けないことを周囲の誰かに訴え、助けてもらうことです。

休む制度があればそれを利用する、配置転換がかなうのならば、その希望を出す、もし本当に命の危険まであるのなら、安定とか仕事の責任とかではなく、ただ生きることを優先して、別の生き方や給料が安くなっても仕事を変えるなど、選択の範囲を広げてみましょう。

意外に何とかなるものです。私も公務員を辞めて、かろうじて生活しております。(苦笑)

あなた一人が責任を追いすぎて、やり過ぎている場合もあるかもしれません。(応分の責任とは、負い過ぎることでも、逃げ過ぎることでもないのです)

あなたが弱り、働けなくなれば、誰かがあなたを助けることになります。それが同僚か部下か、上司か、そして家族か親戚か、仲間や友人か、はたまた社会や国ということもありえます。

人や社会は冷たいようですが、温かく、優しいところもあります。

最初からそれをあてにして逃げるのはいけませんが、弱ってしまえば、通常時のあなた自身のパワー分に応じた責任が負えないのですから、不足分は他から補ってもらうとよいのです。

あまりに苦しく、つらい環境は、実は自分を守ったり、精神と体力を何とか均衡に保ったりするために、とてつもない大きなパワーが消費されています。

これでは能率が落ちますし、気力やエネルギーも失われていくのが当然です。

そして、とてもレジャーや娯楽、消費活動にも貢献できない精神と体力状態になっていますから、経済面から見た社会的にも、非効率このうえないです。(笑)

宇宙的にも見ても、非常にエネルギーの無駄使いのように思えます。

非効率なことは非効率な結果となって還ってくるのが自然の理(ことわり)です。

ここら見ても、あなたが効率よく生きるために、我慢しすぎないほうがいいのです。

一人で責任とすべてを負うとせず、複数からグループ、多くの人によって支え合うことを意識するとよいでしょう。

それから、解決策や正解はただひとつではないこと、これを思うことだけでも、意識は広がり、その分、実際にあなたの救済方法(機会やチャンス)が拡大してくるのです。

この意識の拡大は情報の変換によって起こります。

つらい環境は、あなたの常識から非常識に転換するチャンスでもあるのです。

今の非常識が、あなたの常識となる時、暮らし方も経済・収入の方法も、大きく変わっていくことでしょう。

あなたが「ありえない」と思っていることに意識を向けて、少しずつ行動したり、足を運んだりすることで、何かが確実に変わっていきます。

マルセイユタロットでいえば、「力」や「吊るし」、さらには「13」や「節制」「悪魔」などの一連の流れで、象徴的にこれらを考えていくことができるのです。

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