時間と空間 ふたつの視点

マルセイユタロットには、この世界における様々な質、エネルギーといったものが、絵柄の形で表現されています。

これはつきつめると、「様々」ではなく、たった「ひとつ」の違った見え方に過ぎないとわかってくるのですが、「ひとつ」のものが多様に分かれていく時、必ず通る道があります。

それは、ふたつに分かれるという、考えてみると当たり前の話です。(笑)

「二元論」という言い方をする場合もありますが、すべてはふたつのものに分かれ、それがひとつとなって完全性を持つという見方があるわけです。

ということで、何事も、ふたつの視点で見ると、いろいろと面白くなってきます。

さて、ここで時間と空間(場所・フィールド)という概念を持ってきましょう。

私たちが現実で生きている世界は、この時間と空間を意識しないではいられません。

それらは、究極の世界では「ない」と言われるのですが、現実感覚としては無視できないものです。

いわば現実は、時間と空間(の意識)にあると言ってもよいでしょう。

そして、これも「ふたつ」の観点です。

まず時間ですが、これはよくいわれるように、2つの時間があります。

ひとつは物理的な全員の共通時間、言ってみれば時計時間です。そして、もうひとつは一人一人の個人的な時間、心や精神で感じる時間です。

これも「ふたつ」ですね。

マルセイユタロットの、「斎王」とか「隠者」とか「吊るし」のような世界観では、一人時間のようなものが示唆されます。

これらのカードを見ると、たいてい孤独や通常の世間とは隔絶された雰囲気を持っています。

私たちは日常的には、時計時間を気にして、一日などの「時間」を有効に活用しようとします。時には無駄に過ごしてまって、反省することもあります。

しかし、あえて日常とは切り離し、自分だけの世界に籠もると、時計時間よりも精神時間のほうが意識されやすくなります。

言い換えれば、自分が感じる時間のほう強くなり、時間の長さや進み方が感覚的に変わるということです。もちろん、一般の時間(時計時間)は変わることはありませんが。

それでも、例えば、今までの日常時間より、時がゆっくり進んでいるように感じられれば、心に余裕が出るのは予想できます。

本当は24時間だけれども、感覚的には36時間あるような感じとなるわけですから。

すると、スローモーションのように景色も見えてきて、いろいろなものの移り変わり、変化、瞬間・瞬間をとらえやすく(感じやすく)なるように思います。

異質な時間は、異質な精神を生み出し、その逆もまたありだということです。

では、空間(場所)はどうでしょうか。

これも、場所が変われば、感じ方も変化することがあるのは、皆さんも経験済でしょう。

今の場所と新しい(移動する)場所、前の場所と移動した現在の場所、これも実は「ふたつ」なのです。

加えて、時間もかけると、同じ場所であっても、時間が経過した場所は、もう前の場所ではなくなっていると考え、まるで違う場所に移動したかのように感じられます。

何が言いたいのかと言いますと、「ふたつ」という視点を入れることにより、ふたつの時空を意識的に行き来することになり、自分に変化を起こしたり、バランスを保ったりすることができるのです。

それは、現実(に生きる私たち)だからこそ、できる技なのです。

言い換えれば、日常と非日常が感じられる、時間の変化か場所の変化で、ふたつの異質なものの相互交流(移行と回帰の反復)をし、リズムを保ったり、取り戻したりするとよいということです。

まあ、私たちは言われなくても、旅行したり、趣味の時間をもったりして、自然にそれを行っているものですが。

また、これまで自分が思っていた非日常的なものを日常にし、反対に日常を非日常にすることで、一種の修行状態(覚醒を促す状態)に自分を置くことができます。

これはマルセイユタロットでいえば、「吊るし」であり、「隠者」だと言えます。カードを見ていると、そう彼らが伝えているように感じます。

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