タロットを最初に習う時、そしてその後。

前にも書きましたが、あなたが誰かにタロットを習いたいと思う時、先生は次のように選ぶとよいです。

まずひとつ。

自分が望む状況が、すでに確立されたり、実現されている人を選ぶ。いわば、先生のようになりたい、活躍したいというもので、先生が自分の目標・モデルであるとするものです。

そしてもうひとつ。

その先生の思い、目指しているところが、あなたのタロットを学ぶ目的と合致している、リンクしている人を選ぶというもの。

こちらは、自分と先生が同じものを感じてる、見ているという印象で、自分がその先生のようになりたいのではなく、その先生の伝えるものに共感する、自分が響く、成長のヒントがあるというものですね。

いずれにしても、タロットに対する思いや目的が共感していないと、学んでいる最中、かなり違和感を持つことになり、効果的にタロットを満足に学習することができません。

要するに、技術や内容というより、あなの心が満足しないのです。

ただ、心と切り離し、あくまで技術や知識だけを学ぶのだというスタイルで臨む時は、どの先生についても、またどんなタロットを学んでも、割り切って自分に落とし込むことができるでしょう。

これは、いわばタロットを機能的に学ぶ方法です。

しかしながらタロットは、基本、心と切り離して考えることはできませんので、いくら機能的に学ぼうとしても、どこかで割り切れない思いも出てくるでしょう。

それでも、こうした機能的な学び方が悪いわけではありません。

特に、タロットの基本を一通り学んだあと、自分にとっての足りない部分や、もっと知りたい分野について、補強していく意味で、こうした機能別に学習することは、むしろ効率的と言えます。

そして、こうした機能的(要素別)に学ぶ場合、タロットそのものから離れる内容のものが多くなってきます。

いえ、もちろんタロットのために学ぶのですから、すべてはタロットに関係してくることになるわけですが、それでも直接「タロット講座」を受けるというようなスタイルとは異なってきます。

例えば、関連する占星術とか、カバラーとか数秘術とか、西洋に関係するものはもちろん、一般の心理学とか、仏教、神道、神話、哲学・象徴学・各思想などいろいろと個別にあります。

それらを別々に学習することで、さらなるタロットへ知識と技術が深まるわけです。

これは「タロティスト」として、タロットを基本に真理を追求したり、対人サポートしたりする人の場合です。

もちろん、タロットではなくても、自分は「これが基本」というほかの「コアなもの」があればいいわけです。

私がここで言いたいのは、実はタロットの学習方法のことではなく、なぜタロットを学習するのか、改めて自分に聞いてみてくださいという、タロットと自分のあり方についてのことなのです。

最初は確かに、タロットを学ぶ目的とか、自分とタロットとの関係など、はっきりしたものがないことが多いでしょうし、それでも構わないのです。

入り口はまさにそれぞれです。単に占いとして趣味的に学びたかったという人もいれば、友人に誘われてとか、たまたまブログを見て気になったからとか、そういうようなものが実は普通です。

問題は、一通り、学習してからです。

さて、タロットの基礎、あるいは初歩を学んだとします。

「これから、あなたは、せっかく学習したタロットをどのように活用したいと思いますか?」

と聞かれれば、あなたはどう答えますか?

どう使おうがその人の自由であり、またタロットは、伝統的なタロットであれば、ほぼあらゆるものに対応できる象徴体系(システム)を持っており、自分の使い方の希望に応じてくれます。

ここで、タロットに対するあなたの立ち位置、スタンスが求められます。

「タロットはあくまで、目的のための道具・ツールの一つです」という人は、その目的とは何ですか?

例えば、人を癒し、問題を解決したり、解消したりするサポートとして活用したいというのであれば、そのためのツールということになるでしょう。

この場合でも、多くのツールの中のひとつか、メインとして使うのかの違いで、今後のタロット学習や研鑽について、異なってくることになります。

あるいは、自分の解放や探求のために「象徴図」として使いますという方も、またそれなりの学習方法と使い方があります。

このケースでは、ほかのもの(タロット以外のもの)を学びつつ、タロットに落とし込んで理解する帰納的なものと、タロットを基本としながら、あらゆるほかのものを考察していく演繹的なものとがあり、それらを入れ替えしながら、自分自身を高め、統合的・霊的に成長の道を見ていくこともできます。

一方、タロットを経済活動に組み込み、占い師やタロットリーダー、セラピストとして独立、もしくは副業し、仕事として(社会的にも)経済的にも自立か、自立する方向に持って行きたいという人もいらっしゃるでしょう。

人を助けるためというきれいごとだけではなく、本音として、仕事にしたい、お金にしたい、あるいはタロットが好きで、それ(好きなこと)が仕事になればいいという人もおられると思います。(もちろん、人のために役に立ちたいというのも本音でしょう)

それはそれで学ぶことが、やはりあります。

特に経済活動になってきますと、集客とか宣伝とか、具体的に物質的なことにフォーカスし、その技術や方法も学習することが求められます。

プロとして料金をいただく活動をすることは、タロットの技術や知識が高い(お金をいただくことのできるレベルである)のは当たり前ですが、それだけでは、望んだ状態(経済的自立とか成功ということであれば)になるのは難しいです。

ここで誤解している人がいますが、学びとは「座学」だけではないということです。

頭や知識でわかったとしても、それは片面だけの学びにしか過ぎません。

もうひとつの、実践での学び、いや、学びは実践であると言い換えてもよいでしょう。

暗記は頑張れば誰でもできるのですが、それを筆記テストで一時的に満点取ったからと言っても、本当に使えるか、理解しているかは別の話です。

覚えたことが通じない、そもそも覚えたことの意味・真実がわからないということは、ままあることです。

そのために実践であり、現実なのです。

いつもマニュアル通りの同じ事が起こるとは限らないどころか、毎回必ず、現実(実際)ではどこか違っているはずです。

マルセイユタロットにおける大アルカナは、ある意味、すべてが学びを象徴しているカードです。

しかし「学び」であっても、「斎王」「や「隠者」のように、本を手にしたり、静かな環境で瞑想したりするだけではなく、例えば、「手品師」とか「皇帝」「戦車」など、現実的なことを示唆するカードでは、その足や乗っているものから見ても、動きがあったり、両足開いたりして、臨機応変的なスタイルがうかがえます。

関西弁で言えば、学びは実際に活かされてナンボです。(笑)

ただし、ここでも誤解があるのですが、実際に活かされるというのは、物理的なことだけではないのです。

見に見えて効果がないように感じても、精神的・霊的に働いていれば、それはまた別の意味で実際に活かされているのです。

大切なのは知識を満たすだけではなく(知識欲を満たすことだけではなく)、それをどう活用するかなのです。

知らないことを知って、「へぇー、そうなんだ、すごい!」と思うのはいいのですが、そこから次の段階が重要です。

タロットを一度習ったあなた、そのタロットと知識をどう使いますか? そもそもあなたは、これから、どいういった目標と目的のために、タロットの学びと実践を行うのですか?

もう一度ここで考えてみましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top