アニメ映画「君の名は。」に関して。
アニメ映画「君の名は。」が大ヒットしているようですね。
私も今や、映像作品は、ほぼアニメばかり見ている(笑)状況(これには、単純にアニメが好きという以外にも理由があります)ですので、もちろん、無関心ではいられませんでした。
ただ、「君の名は。」は、普段アニメを見る層を超越して、多くの一般の人にも受ける形となったので、かえって後回しして鑑賞しようという気持ちでもありました。
ということで、先日、ようやく「君の名を。」を観てきました。それで、幾つかタロットに関連したり、普段思うところとも関係したりすることがありましたので、それを簡単に書いてみたいと思います。若干のネタバレもありますので、まだ観ていない方はご注意ください。(鑑賞後に読むほうがよいです)
この作品は、基本、ファンタジーであるので、そこからスピリチュアルなことに関係させて、すでに多くの人が論評したり、指摘したりしています。
ですから、私ごときが今更言ったところで・・というのがあるのですが、私なりの視点で思ったことを書きたいと思います。
まず、マルセイユタロットでは「斎王」、他のタロットでは、「女教皇」と呼ばれる存在が、この作品のキー(鍵となる人物)として描かれていました。
この存在は、その象徴性を深く辿って行くと、巫女的なものや、女神信仰と結びついてきます。言い換えれば、私たちが今忘れている精神性の奧にある霊性を直接感応する力、平たくいえば、見えない世界の情報をキャッチする能力、異次元認識と情報を直感的に自分に下ろす器といってもよいでしょう。
マルセイユタロット的には、ほかの女性的なカードとも関係し、特に「星」のカードとのつながりは、この作品においても深いものがあると感じます。
映画では、主人公ふたりの女性側の人が、この巫女的な系統にあることが描かれ、その巫女の体内からのものと融合したお酒が、もう一人の主人公の男の子(マルセイユタロット的には「斎王」に対しての「法皇」とも取れますし、そもそもの二元的エネルギーも象徴しています)をトランス状態に導くような描写がありました。これらは、女神的な力が、日常を超越したパワー、聖別なる神聖な力があることを象徴しているとも言えましょう。
この主人公男女二人の意識が入れ替わるというのも、もはや古典的表現ではあるのですが、全体を通して見れば、お互いの立場・視点の意識的交換として、見るもの見られるものを統合し、新たな視点(境地)を獲得していく示唆だとも取れます。(マルセイユタロットでは、「恋人」や「月」に関係してきます)
もうひとつの、この作品の(ストーリー的な)特徴として、時空を越える、あるいは時空を無視して、人物同士が繋がる(コンタクトする)というものがあります。
それが主人公二人というわけなのですが、そのつながりの象徴、あるいは超越するためのワープ道具的扱いになっていたのが、糸を組み合わせる組紐(くみひも)でした。
時空をジャンプするようなことはファンタジーであり、いわば現実離れしていて、私たちが感じているリアルな世界では、まず起こることのない現象なために(しかし夢だとありえるということでもあります)、だからこそ、そこに夢やロマンを感じ、作品では感動を与える核となっていました。
さて、一方で、この作品の別の面での特徴があります。それは、妙にリアルさがあるということです。
先述したように、この作品では、霊的な世界や時空を越えるようなファンタジー要素、つまりは反リアリティ(非現実的・現実逃避・現実遊離的なもの)が核となっているのに対し、一方では、この監督の作品の特徴でもあるのですが、背景や街・自然の描写が超絶なほどきれいで、言ってみればリアル(写真的・見たまま)なのです。(まあ、この監督の他の作品や、短編作品ほどではありませんでしたが)
それから、おそらく多くの人(特に私たち日本人)が、衝撃を受けたであろう、物語の「転」に当たる、「災害」が大きく関係していたというシーン。
これは東日本大震災も含めて、今年の熊本や九州での地震被害、北日本での台風被害、さらに近年での様々の自然と人災的な災害の数々を、日本人なら思い起こさずにはいられない部分です。つまり、これも観る人によっては特にリアルなところなのです。
そうして、導かれていくこの作品からの印象は、このような言葉で置き換えることができるでしょう。
「今、日本で(日本人に)何が起きているのか? 起ころうとしているのか?」
それは、同じアニメ出身監督、庵野氏が監督した実写映画で、こちらも今年ヒットした「シン・ゴジラ」にも、同様のテーマがあると見えるものです。
昔なら、アニメや特撮映画の世界というのは、一部の特殊な人、マニアックな人が見るものでした。しかし、時代は変わり、アニメのような表現は、多くの人になじみのあるものになり、私たち日本では、すでに普遍化したと言ってもいい状態です。
「君の名は。」のヒットにも、戦略的なものもあるでしょうが、アニメーション表現に抵抗のなくなった人々が増えたこと、そして、この作品には、恋愛という要素を元にした、見えない部分の純粋性が描写されていたこと、さらには、その背景に、リアルなものもあり、完全なファンタジー、お伽話としてではなく、物質性や現実性の意味もうまくマッチング・風味付けされていたこと、などがヒットの要因としてあるでしょう。
ただ、さらに奧を見ていくと、監督や制作者たちの意図も超越し、日本人のもつDNA的(組紐的なもので象徴)な元型(イデア)に接触し、それが時空(時間と空間、つまりは私たちが通常認識している現実感覚)や、個別的な人との隔たりも越えるような統合的方向性を示唆していたものと考えられます。
災害のことを入れたり、リアルな日常の(特に東京という大都会の象徴)世界を細密に描くことで、私たちに日常や現実性を意識させつつも、この作品には遠景や空(ソラ・宇宙)、星といったものが象徴的によく出てきており、先述したように、作品自体はファンタジーであるので、現実から離れたような世界を描きます。
何よりも、これは実写ではなく、すべてが絵で構成されている、現実にはない世界を描写するアニメという作品です。
この作品を見て、ファンタジーの世界でピュアなものにふれ、それで感動したというのもよいでしょうし、リアルな面でありえない、ツッコミどころ満載(実際、私もそれは感じた部分はあります)という点で、このような作品は合わないとし、批判したり、それほど感動もなかったりしたという人もいらっしゃるでしょう。
それはまた一人一人の個性の違いであって、どう感じたか、思ったかについては自由で、いがみ合うことではありません。
ただ、なぜ多くの人に、今、こうしたアニメ作品が受けたのか、話題になったのかということを考察していくと、上述の「今、日本で(日本人に)何が起きているのか? 起ころうとしているのか?」ということに関連して、商売上や現実的観点から以外の、霊的なテーマとして浮かび上がってくるものがあると思います。
そしてその問いの答えは、皆さん自身で、映画を観ながら探してみてください。
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