生きづらさの肯定から観る。
人生とは、ダイナミックで、どんな人にとっても、あとで振り返ればドラマティックなものであり、「素晴らしきかな、我が人生」とか、「物事はすべて完璧なタイミングとバランスでできている」とされて、この世に神なる完全性を見る姿勢があります。
あくまで、自分視点で見れば、人生は、自分がいかにそうしたことを多く体験し、また思考して実感できるかで、生きやすくもなり、充実することもできるということになるでしょう。
現在の多くの心理系、スピリチュアル系の方の主張も、これに類するように思います。
自分の思い方次第で、自分を中心とする範囲の世界は幸せになるかもしれませんし、なにはともあれ、とりあえずはそれ(自分の幸せ)が先決、大事と考えるのはおかしなことではないと思います。
自分自身が幸せや充実感を覚えていれば、それだけ自分の見る世界も幸福に満ち、外部の世界、自分以外の人たちに対してでも優しく、穏やかな目で見ることができます。
世界は私のために優しい、愛がある、幸せを提供してくれていると思えるからです。この「世界」の部分を「宇宙」とか「神」に置き換えても同じことになります。(すると宇宙や神に感謝の念もわき起こるでしょう)
ですから、自分を大切にすること、自分がいかに満たされ、幸福な状態になることは重要であり、それゆえ、先述したように、たくさんの方々は、自分方向への愛と充実を訴え、その方法を提供してくれているのです。
そのおかげもあって、自分を解放し、自分らしく生きている人も増えました。
一方、そうは言っても、私たちは現実的には、他者の世界、外に見る世界に、あるいは自分が現実の世界で体験することも含めて、理不尽と思えること、悲惨とも感じるようなこと、多数の人が自由に活き活きと暮らしているとは言い難い状態がシビアに確認できます。
タロットによる相談をしたり、タロットの象徴的思考から世の中を観察したりしても、生きづらさをずっと感じ、この社会に不安やシステムの問題を思い、どこにいても、何をしても気が晴れないという人も、少なからず、いらっしゃるのではと感じています。
実は私自身も、こうした思いはずっと昔から持っているものです。
いくら心理やスピリチュアルを学び実践しても、また経済的な成功を目指して頑張っても、どこか違和感を覚えたり、うまく行かないと感じたり、それで(これで)いいのだろうか?と疑問に思い始めている人たちがいます。
それはまた、技術とか、自分も含めて「個人」の問題とかではないのではないか?という疑念も生じている場合もあるでしょう。
ちょっと前にブログでも取り上げました「君の名は。」のようなアニメ映画なども近頃では流行り、特に若い人たちがたくさん観ているようです。
これを「現実離れ」や「軽い(ライトな)傾向」と、批判する向きをありますが、今のこの時代、この社会の中で逃げられず、希望も見出せず、どうしようもない閉塞感に行き詰まってしまっている反動として、非現実的表現の奥にあるピュアな(純粋な)もの、もっと言えば「イデア的なもの」に向かっている(観ようとしている)と、考えることもできる気がします。
こうした人たちが感じる「生きづらさ」とは何かを見ていくと、色々なことが見えてくると思います。とはいえ、陰謀論とかの話の次元ではありません。
とにかく、今は楽しくあること、楽であること、リアルを充実させること、目一杯人生を味わうことなどが推奨されていますが、それはそれで素晴らしいことなのですが、そういう気持ちに全面的になれない、どこか引っかかる、何かがおかしい、何か違う・・・と感じている人も少なくないのだということです。(むしろ増えている気がします)
それは確かに心理的問題、心のブロックということもあるのでしょうが、それとは別の次元の、普遍で根本的なものがあると、私は感じているところなのです。
言い方を換えれば、心のブロックというとらえ方そのものが、すでに、本当の問題を隠してしまっているということです。
タロットを使う次元にも様々なものがあるのですが、一般的に対人的なリーディングや占いにおいては、心理次元や現実次元の問題と対処を見て、クライアントの実際生活での調和(成功や夢の実現、個としての自分本来性の発揮、自分の好きなことで生きていくなど)を見ていくことが多いものです。
これはタロットを使う(もちろん、タロット以外のことでも)たくさんの先生方がされていることであり、それを上手に指導したり、アドバイスを与えてくれたりする人がいらっしゃいます。
ただ、私はこうしたものも考えたり、アドバイスをしたりもしますが、もうひとつ、今日後半に述べたきたようなことである「この世の矛盾や生きづらさ」をどうとらえ、どうすれは現実次元と純粋次元の統合を図っていくことができるのかということに関心が主体として移っており、それに共鳴する人に対して、マルセイユタロットを教えたり、マルセイユタロットを使ったリーディングをしたりすることが多くなってきました。
一言でいえば、「世の中の生きづらさの肯定」であり、それを現実の世界で、どう調整して行くかというテーマと言えるでしょう。(この「調整」は、時に、いい意味での「離脱」ともなりますが、依存や一般的な意味の「現実逃避」とはまた別です)
またこのことは、単独(自分一人だけ)でどうなるものでもないというテーマですので、マルセイユタロットに関心のある皆さんと一緒に考え、実践していこうという思いでもいます。
コメントを残す