カードを立体的に(想像して)見る。

マルセイユタロットは、見た目は平板で、絵柄に芸術性はあまり感じません。

しかし、それはわざとそうしているところもあるのです。

普通に見ると、平板、まさに二次元的なカードの絵柄なのですが、マルセイユタロットの版によっては、三次元的(立体的)に見えてくるカードもあります。

私の推測ですが、それもおそらく、意図されたものではないかと思います。

カードを眺めていると、カードの描かれている人物が立体的に、リアルなホログラフィック画像のように、立ち上がって見えることがあります。

それは、ちょうど人形劇を見ているようなもので、複数のカードともなれば、劇場で出演者たちのセリフを聞いているような感覚にもなります。

先日書いた、カードとの対話のシーンでも、こようような印象として上がってくることもあるのです。

これとは別に、単純に一枚一枚を、イメージによって立体的に絵を見ることで、斬新な気づきが得られることがあります。

立体的ということは、表側の上下左右だけではなく、側面や裏側もあるように見ることになります。

もちろんカードの絵には、裏側など絵としては描かれていませんから、想像するしかないのですが、その想像で出てくるものに意味があるわけです。

例えば、マルセイユタロットの「運命の輪」。

この中でも、特に「輪」を球体のようにイメージすると、「運命」を象徴しているのが「輪」から「球」になり、そうすることで、運命は上下というより、左右も含めての複雑な回転性がイメージされてきます。

「運」が上下のような位置だけではなく(上がったり下がったりするだけのものではなく)、左右への横移動(状態の変化として見る)、さらには、斜め方向への回転(複数要素による「角度(関係)」的なものとして認識される)こともイメージしていくと、運の良し悪しというものが、単純に上下の波のようなものではないことが把握できてくると思います。

ちなみに、運命、特に運(運勢)については、現実生活に影響を及ぼすもので、それを知って活用することは、無視できない力があります。

しかし、このカード『「運命の輪」)のナンバー「10」(大アルカナは、数のついているもので「21」あります』が示唆しているように、それは中間段階でもあり、この段階を超越することが、もっと重要になってくるのです。

占いで、いい運勢をつかみ、それに乗ることは自己の現実フィールド(個の欲求レベル)を充実させる意味では、効果的な方法です。ですから、いわゆる運気の流れを知ることは大切にもなってくるわけです。

しかし、いつまでもそれにこだわっていると、今度は逆に、運勢に自分が縛られることになります。

この「運気的な流れ」を、東洋では「水」や「龍」のような霊獣で象徴させることがあり、まずは龍を信じ、それを見ることがポイントとなりますが、次には龍に乗って、龍をコントロールする段階になり、さらに高次では、龍を昇天させ、龍が自分の一部であること、龍がいるようでいなかったことを認識することが求められます。(あくまで象徴的に述べています)

話がそれましたが、こういうことも、カードを立体的に見るようにしていくと、自分の中に入ってくるものなのです。

ほかにも、面白いのが、「吊るし」です。

「吊るし」は、そのまま見ると、二本の木の間にぶらさがって、じっとしている人という感じに見えますが、立体想像すると、後ろ手に隠しているものをイメージすることになったり、横から見ると、意外にも、止まっているようで、振り子の動きが見えてきたりすることもあるのです。

不思議に思うかもですが、私は「吊るし」の人物の後側にも顔があることを見たことがあります。そのことで、「吊るし」が表す段階や、「吊るし」の人物が何者なのかということを神話的に気づいたこともあります。

このように、タロットカードを立体的に見ることで、新たなアイデアや、常識的を超えた示唆が得られることもありますので、一度やってみてください。

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