悩みや葛藤自体が「答え」と考える。

これはつい最近にも書いたことがあるように思いますが、(なお、私のこのブログは、ほとんど計画的な作為はなく、その日、思いついたものを書いているため、自分でも書いた内容はほとんど忘れているところがあります、そう意味では自分の別の意識との共同作業のようなものでもあります)、リーディングや占いをする前から、もう答えや重要な要素は出ていることが、往々にしてあります。

色々な援助方法を求め歩いたり、占い師のもとへとさまよったりする方に、実はそれが顕著だと以前書きましたが、要するに、自分の欲しい答え、理想を回答として出してくれる占い師や相談してくれる人を求めているわけなのですから、その自分の求める「答え」がまさに「答え」なのです。

ただ、ここでいう答えとは、正しい選択とか、社会一般の価値観の幸せに導く答えではなく、自分を見つめる核となる「答え」だということです。

結局、自分が求める状態、理想が実現してほしいわけですが、それができない状況とか障害があるために、どうすればよいのかと悩んでいることになります。

よく理想と現実の狭間と言われますが、現実次元においては、この二種・二元・相反すると思えることでの葛藤状態が、ほぼ必ず起きます。むしろ、そういう仕組みと体験がノーマルな世界と言ってもいいくらいです。

それは、人は、天と地の狭間で生きるものであり、言い換えれば霊的・精神的なもののように希薄で見えないものと、物資的で安定的なものとの間で生存していくからです。

また、このふたつの性質の両方を持つことも、人間の特徴と言えるかもしれません。(究極的にはすべてのものは両質を持つと言えますが)

常識的な判断や、論理的・数値的にわかったりすることもあれば、感情的に割り切れない、心や魂がどうしてもが求めることもあったりするのが、実は人として生きている証です。

このことは、マルセイユタロットカードの「恋人」がよく象徴しています。ちなみに、このカードは「恋人たち」ではなく、「恋人」である必要性があります。そうしないと、なぜ上空にキューピッド(クピドー)がいるのか、理解が難しくなります。

ともあれ、その「恋人」カードが語るように、ふたつのうちのひとつを選択することそのものが問題・テーマではないのです。

そうした狭間、ふたつの間に立たされる経験そのものが、自分を目覚めさせるきっかけとなります。

とはいえ、人情として、自分の望む答えになること、そういう現実になってほしいという思いはよくわかります。

特に恋愛などでは、思うようにいかない時、相手がいることですから、自分の思いや行動だけではいかんともしがたく、相当苦しいものとなるでしょう。

ですが、その葛藤や悩みこそが、あなたの成長を促すものなのです。

この場合で言う「成長」も、ただ一般的に言われる成長ではない(一面的ではなく、見えない部分も含む統合的・全面的なものである)ことに留意すべきです。

占い師に求めるあなたの願う答えは、本当の答えではなく(ただし、ないがしろにできるものでもありません。強く願っているそのこと自体は尊重されるものです)、その奧に、あなたの魂が欲している真実の答えがあるのです。(マルセイユタロットでは、「太陽」や「審判」の発見ともいえるでしょう。)

時にはつらいことですが、自分の表面的な部分が求める答え(今、強く願っている思いなど)を拒否する・捨てる(あるいは疑う)ことで、真実の答えに行き着く場合もあります。

そしてタロットリーダーや占い師は、自分が相手(クライアント・相談者)側の理想の投影装置として、相手の願う答えを出してしまうことにも注意すべきです。

ですが、それが必ずしも悪いわけではないのです。

実は、クライアントの理想の状態や望む答え、強い願望、時にはクライアント自身も気づいていない欲求さえ、占い師側が気づかず答えてしまうことがあります。

正確には「応えてしまう」のです。つまり、占い師(やセッション)を通して、クライアントは自分の理想を鏡写しのようにして見たいわけなのです。

「将来、素敵な彼氏と結婚できますよ」とか、「思っている人からいい返事がきます」とか、「独立して成功できますよ」とか、「あなたには特別な才能が眠っていますよ」とか、もっと具体的に、「6ヶ月後に、ソウルメイトと人生をテーマにした東京のセミナーで出会えます」とか、そのような、言ってもらえて嬉しい・喜ばしいことというのは、まさに自分の潜在的(あるいは自覚した)希望・願い・理想ということがあるのです。

それを相談を受ける側が、無意識に察知して、見せている、「応えて・答えている」という形式とも言えます。

このプロセス(からくり)がわかれば、自作自演みたいな形で、タロットカードを使って自分一人でもできるようになります。

カードに投影された自分の願い・像を見るというわけです。それを客観視するのと、無自覚で、ただ猛烈なエネルギーの渦のようなものとして翻弄されたままでいるのとでは、大きな違いがあります。

占いで指し示される未来は、それが運命と思う人もいるでしょうが、今の意識が投影された選択肢のひとつとして見ることができます。

それは占い師というフィルターを通して出ていながら、クライアントとしての自分自身の願いや恐れの場合もあるのです。

自分の理想とした選択肢の未来像をイメージした時、意外にも空しかったり、ありえない非現実感が漂ったりすることがあります。夢に見ていた理想像というのは、こんなものだったのか、これとは違う、という感じの場合もあります。

その感覚は大切です。

ですが、それでも、その理想の未来像を実現したいと強く思われる時、実現するかしないかは別として、あなたの中で何か特別なものとして、求められていることなのかもしれません。

アニメのセリフ風にいうと、「ゴーストの囁き」とか、「私の何かがそうするように語りかける」とか、「何者かがそう導く、それが悪い結果になるとわかっていても。。。」みたいな感じです。

大切なのは、自分が選択した結果について責任を持つという態度かもしれません。それ(覚悟)ができていれば、どのような選択も、自分にとっては満足をもたらせるでしょう。

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