不安を起こすもの 分離と統合
マルセイユタロットに描かれてる至高の目的というものは、言葉では表すことができないものです。
そして、変な言い方になりますが、至高のものを逆に言葉で表そうとすると、数多の表現もできるのです。
これは「本質」とか「真理」などと言われるものを表現する場合、どんなことにも言えることではないかと思います。
つまり、そういったものは、本当は言い表しようがないがために、それでもあえて言葉にしようとすると、一人一人の世界(個別)次元に下降するので、人の数だけ言葉が表現が生まれるとも言えます。
それはさておき、そうしたマルセイユタロットの至高目的のひとつに、「統合」という概念があります。
実はこの統合も、そのレベルとフィールドにおいても、様々なものがあるのですが、究極の統合を、カード一枚で表すとすれば、それは「太陽」であり、また結局のところ、「世界」とも言えます。
そして、どのレベルの統合においても、その前に分離というものがあることが示されています。
前・後という言い方もできますが、これは二元的なもので、並列や回転(循環)で表すこともできます。
言ってみれば対立概念でありつつ、一元から二元、二元から一元の運動的なものとも言えます。
ところで、これは私が神経症うつ病をかつて発症した時にことを思い出して、気づいたことがあるのですが、このような傾向を持つ人は、不安が高い人でもあります。
何事も予定通りとか、思った通りに済まないと不安になるという感じですし、先々のことをネガティブに多く想像してしまい、いわば取り越し苦労をして不安になるわけです。
この時、何が行われているかといえば、(先行きの)想像による創造です。この力がポジティブ方向に働けばよいのですが、実はネガティブも含めて、あまりにたくさんの想像を膨らませ過ぎていることが第一の問題です。
そして、もっと重要な第二の問題があります。
それは、その想像が感情と結びつくということです。感情と自分の意識が同体化してしまうことにより、自分の想像した(創造した)状況を現実感をもって味わってしまうことになるのです。
いわば、感情は想像したものへのリアルになるための彩りだと言えましょう。
従って、ここで大事なのは、感情と自分そのものとを、意識的に切り離す(分離させる)ことです。
感情が起きるのは仕方ないというか、そのように私たちはできてしまっているので、感情が起きることそのものを最初から分離するのは難しいでしょう。
しかし、自分が思ったことに対して感情を入れる、感情的になる、感情が動くというスイッチが入る前に、そもそも、その感覚を感じているものと、本体(本質の自分)とは別だと意識すると、次々と感情と同化して行ってのリアリティ感(つまり不安の増大)というものがなくなります。
要するに、感情のある(感じている)体と、その奧や別にあるともいえる自分の本質という、ふたつの自分を意識するということです。簡単に言えば、感情について客観視することになります。
この時に思考や知識(人間の体や感情、意識についてのものなど)の助けを入れることもできます。
ただし、強い感情は、思考や論理を飛ばしてしまうほどの力を持ちますので、感情がリアリティを持つ前に、早々に切り離す意識を持つことです。
自己の本質と魂はイコールとはいえませんが、それに近い感覚を持てば、魂(霊と言ってもよいもの)の永遠性を思うと、肉体と感情が経験していることは、非永遠性、限定性、発生と消滅というプロセスにあるもので、魂・霊的なものと真逆だとわかります。
確かに、いわゆる皆が思う現実、自分が経験しているリアルというものは、自分の存在と他者の存在を実感し、ここに幸せも、また不幸もある面白味のある世界と言えます。
そのために、このリアルをエンジョイ(このエンジョイの意味は、幸不幸・喜怒哀楽の波すべてです)するために、感情はそのエンジンのための、燃料・養分・エネルギーとして供給されます。
ただこの普通の現実は限定的なもの(世界)で、始まりも終わりもあり、またどこまで言っても不安定なもの(移り変わるもの)でもあります。
一方で自己の本質(魂・霊的な本質)はその逆で、先述したように、永遠性や安定性(何にもならないという意味での安定性)を持つと言えます。
こうしたふたつのことを意識すると、下手に想像し過ぎて、それと感情が癒着して、ありもしない、しかし自分にとってはリアリティある予想図、今現在の幻想によって、自らを苦しめることは少なくなります。
想像の波と感情の波が合体すると、とてつもない大波となって、自分自身を見失いますから(いわゆるパニックに近い状態)、波が連続しないよう、早目に客体を意識することです。
感情の波が強烈なものになる出来事としては、恋愛・人間関係・経済(お金)・肉体(病気などの不調)があります。
こういう時こそ、例えば、マルセイユタロットの「恋人」カードにも示されているように、分離と統合の境目による意識化で、覚醒や意識転換のチャンスが訪れているともいえるのです。
最初は何もかもが自分と一体となって、統合というより、混沌の融合・癒着状態になっており、それに気がつくことすら、普通ではなかなかありません。
ここから癒着したものを分離し、切り分け、再整理・再統合していくことが求められます。
もろちん人生は、人それぞれの自由選択なものですから、そうせず(分離せず)、普通の現実でそのまま生活して行き、様々な経験による感情の起伏でエンジョイしていくのもありです。
この場合や、やはりネガティブな感情の波よりも、ポジティブな感情による幸福感を追求したほうがいいに決まっていますから、そうした幸福感に包まれる現実世界(つまり一般的な意味での幸せ状況)を自らが追い求め、それが実現したという世界に身をおいて行く(目的とする)ことになります。
どの選択をするのかは、まさに個人に任されていますが、 マルセイユタロットの場合は多層な世界観の象徴性があるため、このタロットを学ぶ者は、やはりいわゆる「現実」次元だけの見方(現実次元の幸福追求だけ)とはなりにくいでしょう。
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