「皇帝」と「月」を例にして。

マルセイユタロットの「皇帝」と「月」のカードからの示唆について、ちょっと書いてみたいと思います。

この二つのカードは、ある配列では関連するように並べられるのですが、普通に見ると、真逆のように感じるカード同士かもしれません。

「皇帝」は現実的・実践的・安定的で管理的なものをイメージさせるのに対し、「月」は幻想的・感情的、不安定でとらえがたい波のようなものをイメージさせます。

ところが、量子の世界ではありませんが、粒子と波(波動)という関係で見てみると、「皇帝」は粒子、「月」は波・波動というもので見ることもできそうです。

ということは、物事や現実というものを形で見るか、イメージ・エネルギーのようなもので見るかというのが、「皇帝」と「月」の違いと、一面では考えられます。

つまるところ、これはマルセイユタロットの見方そのものになりますが、すべてはひとつであるものを、色々な見方・とらえ方によって、カードごとに現れて(表れて)くるように描いていると言えます。

そう、「皇帝」も「月」も、正反対のようで、本質は同じ(どのカードも本質的にはひとつ)なのです。

ただ、リーディング(特に対人リーディング)というものは、私たち生身の人間と、その現実認識による実際の世界で行われます。

そもそもタロットカードというものも、物理的な紙としての形を持って、私たちの前に登場しています。

形を持ち、現実世界に認識されるということは、私たち一人一人が違う姿形を持ち、個性をもって見えているのと同じことで、別々の、バラエティあるものとして出ているわけです。

たとえまったく同じ製品であっても、細かい点まで調べれば、どれひとつとして同じ形のものはないはずです。

このように、「現実」とは、違う「モノ」が寄せ集まって見える世界であり、タロットの象徴する世界も、現実として現れれば、別々の形式(図像)をもって登場することになるのです。

「皇帝」と「月」、実際の場面では、その絵柄の違いはもとより、タロットを引いて出たカードが、「皇帝」であるか「月」であるかという違いにおいても、それは現実的な意味では、とても重要だということです。

例えば、先述した「粒子的」「波動的」な違いとして、「皇帝」と「月」の違いを考慮すれば、「月」が出た場合は、そのタロットへの問い・テーマでは、波動的、つまり、現実では形としてはとらえがたいものということで、私たちの心・感情が鍵だということが読め、「皇帝」だとその逆で、結果や成果、形として表されるものがキーとなると読めます。

ここで大切なのは、ただ単に、「カード別に、そのような意味が出ますよ」ということを言っているのではなく、本質的には同じことを象徴していても、現実世界というフィールド、または世界観の違いによっては、表現されるレベルが異なってくることで、その世界観に合わせた読みが、カードから象徴されてくるということなのです。

そして(対人援助の)リーディングとは別の、タロットを自己認識や自己解放の目的に使っていくためには、今回の例(「皇帝」と「月」の例)で言いますと、今度は「皇帝」と「月」の違いから、そのふたつを合一させるような、本質次元へと回帰する考察が必要になってきます。

これは例えば、アニメーションで描かれる世界と、私たちの認識する現実世界が、実は本質的に同じものの型でできていることの気づきに似ています。

またファンタジー小説を読んで、普通は空想世界にふけるかもしれませんが、物語の中において、シビアな現実を見るということもあり得ますし、逆に現実の世界にファンタジーのような不思議で奇跡的なことも、意識としては思うことが可能です。

「皇帝」を引いたからと言って、「月」のような読み・意味がまったく無関係ではないですし、逆に、「月」が出たからと言って、「皇帝」が無視されるわけでもないのです。

もちろん、そのカードを引いた特定性は、先述したように意味があるものですが、同時に、ほかのすべてのカードも背後には隠されており、あなたが今、実際(他人のいる現実世界)で求められる表現と、本質次元・魂の次元(すべてがひとつの世界)への導きとは、まったく違うようでいて関連していることを、そうしたタロットの全体性と、自分(あるいはクライアント)の引く特定(個別)のカードによって思い至ることができるのです。

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