タロットを捨てる タロットが消える

タロットを扱う者として、過激なタイトルの記事(笑)ですが、まあ、聞いてください。

タロットリーダー、タロティストにとっては、タロットが大切なものであるのは言うまでもありません。

しかし、当たり前ですが、タロットを知らない人、関心のない人にとっては、その人の世界にはタロットは存在しないと言っていいものです。

それでも、ちゃんと皆さん生きていらっしゃいますし、さして困ることもないです。(笑)

ただ、真理や自己探求を志す者、人の悩み事の相談をする人などにとっては、タロットに出会うと、とても有意義になることがあります。

私などは、その一人と言ってもいいでしょう。

しかし、そのような志の人であっても、タロットではないツールに導かれる人もいれば、そもそも道具とかではなく、技術やメソッド、思想、考え方として、何かに出会うということもあるでしょう。

そうして、自分の信じたもの、相性のよいと思うもの、効果があると思うもの、適応するものとして、自分とのコンビを組むことになります。

たとえば、タロットに近しいものとして、各種の哲学的・心理的な象徴カードや、思想・技法として占星術・カバラーなどもあります。そちらのほうが自分に向いているという人もいるわけです。

ところが、それがタロットであれ、何であれ、ずっと信じて使い続けていると、ある種の偏り、囚われ、見方や思考の癖というものも、必ず出ます。

タロットで物事や探求を理解・把握しやすくなるのは確かですが、反面、タロット的な見方に囚われている自分というのが形成されているおそれもあるわけです。

ですから、タロットをしない人から見れば、タロットをしている人は、タロットをしているからこそ問題があると指摘することも可能になるのです。

これは「タロット」の部分を、自分が信頼しているもの、使い続けているものなどに置き換えれば、同じことが言えると思います。

あなたが“それ”をしている限り(それを通して物事を理解している限り)、その枠でしか判断できない」と言うこともあり得ます。

だから、タロットをしている人は、どこかで、「タロットを捨てる」という思いも持って、取り組むとよいと考えています。(最初からではなく、ある程度習熟するようになってから)

捨てられないものは、大切なものでもありますが、ある意味、「執着」でもあります。

執着は自由・解放とは言えません。

と言っても、いずれタロットから離れるにしても、段階というもの意識したほうが安全(混乱しなくて済むの)です。

例えば、最初は当たり前のように、タロットカードをシャッフルするなどしてカードを引きます。

その出たカードに何かの意味があるとして、私たち、タロットリーダー、タロテイストは考えます。(クライアントとしてもそう思う前提があります)

ただ、次第にカードを引くという使い方にこだわらなくなってきます。

自分の中で、タロットという絵柄の象徴の理解が進み、物理的な「カード」としての必要性がなくなってくるからでもあります。

つまり、言い換えれば、もはや自分の心の中にカードがある状態と言えます。

すると、偶然引いた(出た)カードに意味を見出すという、一種の「ストーリー」「物語」「そういう設定」の世界で遊んでいるのだという、いわば「幻想」のようなものも見え(気づき)出します。(ただし、カードを引くというのは、まったくの意味のない行為ではありません)

最終的には、カードという存在が、心の中からも消えていき本当の真実というものだけが現れてくるようになるでしょう。(そこまでの境地には、私自身、至っていませんが)

この過程で言うと、タロットは「杖」のようなもの、途中まで進ませてくれる補助エンジン、私たちが囚われている「幻想」をあばくための、別の幻想道具(手品道具)のようなもの、と表現できるでしょうか。

だから、最後にはタロットから離れることになるはずなのです。

しかし、最初から、「タロットで物事を見たり、考えたりすることは間違っている」「タロットは迷信である」「ほかの技術やツールのほうが優れている」などと見る向きは、それこそ、ひどく囚われていると見たほうがよいでしょう。

確かに、何かを通した見方・理解は、今まで述べたきたように、それを使ったひとつのフィルターを通じた見方で、色メガネのようなものですが、色メガネをかけてみないと、見えてこないものも、逆にいえばあるのです。

今まで信じていたもの、常識だと思って疑問を持っていなかったもの、これらに別のフィルターを通すことで、違ったものとしてとらえ直すわけです。

そして、それ(とらえ直したもの)もまた真実ではありません。さらなるフィルターや段階としての考え方が、次に用意されてくるでしょう。

そうした繰り返しの末に、幻想は次々と破壊されていき、破壊のために補助してくれていたツール・メソッドたちも、役を終えることになります。

タロットの精霊的な表現ですれば、精霊たちに出会い、仲良くなり、一緒に過ごしながら、最後には別れていく(消えていく)という感じになるでしょう。

その時、あなたはこう言うでしょう。

ありがとう、そして、さようならタロット(たち)・・・

こののち、その言葉を述べるあなた自身も消えていき、有と無、静と動、すべてが一体となった状態、あるいはその律動のようなものが現れてくるでしょう。

それは「世界」のカードの表現でもあります。・・・と、考えている内は、タロットと、まだまだ仲良く過ごす期間です。(笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top