学び、自身のタロット学習を事例として。

学び、受け入れる象徴のカードとして、マルセイユタロットでは、「2」の数を持つ「斎王」というカードがあります。(一般的なタロットカードの名称としては、「女教皇」と呼ばれるものに該当します)

マルセイユタロットでは、カードの数の並びにも秘密がありますが、次の「3」の数を持つカードは、「女帝」というカードになります。

「斎王」という人物と「女帝」という人物の視線を見ると、その方向も変わり、図像全体の雰囲気自体、まるで違うものになっています。

もちろん、それは意図的な描き方をしているものですが、ここから考えても、単純に、学んだ(学ぶ)ことによって、何らかの変化が起こったことが感じ取れます。

ところで、タロットを学ぶ(学びたいと思った)場合、人によって、理由はまちまちでしょう。

趣味を持ちたいとカルチャー教室なんかで、たまたま出会ったとか、友人の誘いがあったとかという気軽な理由あるでしょうし、最初からタロットというものを本格的に学んでみたいとか、タロットということはもともと眼中にはなかったのに、タロットで示されている内容が、自分の学びたいものに合っていたという、比較的真剣なものや、探求の目的に沿っていたからというものなど、様々です。

何でもそうですが、学びには、最初からある目的や意図があったほうがよいとは言われますが(つまり、何のためにそれを学ぶのか?という自分なりの答えを用意していること)、一方で、おかしな表現になりますが、学んでみて初めて、自分の学びたいこと、やりたいことがわかった(わかる)というケースもあるのです。

言ってみれば、学習するうちに、学ぶ目的を発見したという、学ぶ目的が最初から明確にあったのとは逆のパターンです。

またこういうこともあります。

最初の目的は「これこれ」だったのに、学んでいるうちに別の目的・興味に変わっていた・・・という場合です。

私のタロット学習(のきっかけ)をふりかえって見ると、本当に今書いたようなものでした。

マルセイユタロットを最初に学ぼうと思っていた頃、私は公務員を辞める可能性が高くなっていました。

ですから、「もし公務員を辞めて何か仕事をしようとすると、自分には何ができるのか?」と考えていて、今思うと、占い師をなめていて、大変プロの占い師に失礼なことでしたが(^_^;)、『「占い師」にでもなろうか』と思い、占いの技術を学ぶところを探していたのでした。

その時、偶然、ある本にマルセイユタロットを学ぶ学校の記事と広告を見つけました。

ただ私自身は、占いの分野でも、実はまったくタロットには関心と興味がなかったのですが、その記事内容にひかれ、勇気を出して(私にはとても勇気のいることでした)、その学校に電話したのでした。

その電話に出られたのが、その学校の主宰の先生であり、「すぐに関西で講座があるので、関西在住なら申し込むとよい」というお話を受けたのでした。(学校自体は東京にありました)

そんなわけで、電話しようと思った時は、学ぶにしても、まだ少し先のことだと思っていたのですが、そういうタイミングもあり、あれよあれよと、マルセイユタロットをすぐに学ぶことになってしまったのでした。

そして、実際にタロットの講義の初日で、私は衝撃を受けました。

その衝撃とは・・・マイナスな衝撃です。(苦笑)

まず、参加メンバーのほぼ全員(と言っても受講生自体は少数でした)が、ある程度マルセイユタロットになじんでいた(本とタロットに接していた)ことで、超初心者は私だけだったのです。

タロットのタの字も知らず、とにかく、カードを並べるのにもひと苦労で、皆さんからは遅れまくり、冷や汗が一杯出ました。

そして実際のリーディング練習においても、まったくタロットが読めず、先生からは「君は頭が固いな、公務員だね」と言われる始末でした。(苦笑)

この時、私は「タロットは、絶対自分には向いていない」と思ったものでした。(今でも私マルセイユタロットに相性が良かっただけで、タロット全般としてみると向いていない性質だと思っているくらいです(^_^;))

ところが、講義が進むにつれ、先生の語るタロットの世界は、私が思っていたタロットや占いというイメージとはまったく異なるもので、そもそもその先生は、タロットを占いの道具としては教えていなかったのでした。

マルセイユタロットをもとに語られる豊潤で複雑な象徴大系、古代の密儀・伝統を受け継ぐタロット・・・そしてその実、とてもシンプルな構造をもった宇宙や私たち自身を表すモデルとしてのタロット・・・講義を受講しているうちに、自分の何かが熱を帯び、そして輝き出すのを感じました。

講座が終わる頃には、すかっりマルセイユタロットの世界に魅了され、すでにその時には、占い師になる目的というより、自身の変容、真理の探究というものに自分の目的も変わりつつありました。

タロットを使うにしても、占い師という形ではない仕事や生き方、対人援助、サポートの方法があると思い、それらの道を進むことにも変化しました。

その後もいろいろとありましたが、とりあえず、そんな感じで、今に至っているというわけです。(笑)

この私の例からしても、学ぶことにおいて、当初の目的から変わったり、漠然とした状態でも、次第に学習の過程で、はっきりしたものに変化したりということはあるものです。

私も特に強い意志や明確なイメージをもって、その当時は人生設計や将来を見ていたわけではありません。

むしろ現状や将来については不安と恐れもあり、あやふやな感じ、カードでいえば「月」や「吊るし」のような状態にあったと言えましょう。

ですから、いわゆる引き寄せや、ポジティブイメージシンキングでの願望実現ということでもなかったわけです。

運命ということがあるならば、私の場合は、マルセイユタロットとの出会いは、偶然のような運命の導きにも見えます。

ですが、運命ということよりも、混沌や混迷にあった状態の中で、魂の根底の部分ともいえる何かが発露することになり、それがマルセイユタロットとの学びと邂逅させたと言えるかもしれません。

いわば、自分の表面意識を超えたところの望みの活動に入ったとも言えるでしょう。それが私の場合は、マルセイユタロットとの出会いからであった(その前からすでに始まっていましたが)と考えられます。

皆さん自身も、「本当の自分」の望みとしての活動・表現が、ある時から始まると思います。何かを学びたいという欲求は、それなのかもしれません。

そして学び自身が実は目的でもなく、学びを通して、学びの必要がなかったことを知るという、一見矛盾した結論も出るでしょう。それは決して、学ぶことは必要ないという意味ではないのです。

このことは、自分があることを学べば学ぶほど、知っていくことになると思います。

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