バーチャル世界の危険性

タロットはイメージの世界とも言えるほど、タロットとイメージは関係が深いものです。

イメージもつきつめて行けば、非常にリアルなものになってくるのですが、これと似たものに、最近とみに発達してきたバーチャル世界、バーチャル体験があります。

しかし、個人的に思うのは、今、技術的にもリアル(現実感覚)にほとんど近づきつつある、機器によるバーチャルな世界は、かなり危険があるように思います。

今のバーチャル世界は、実はイメージとは関係なくなり、言ってみれば自分がイメージするのではなく、勝手に機械が作り出した世界を仮想現実として体験しているに過ぎない状態です。

マルセイユタロットにある秘伝的な思想では、この現実・リアルですら仮想空間のようなものだと語られます。

そのうえ、さらに現実の中でバーチャル空間が作られるわけですから、仮想の仮想ということで、何重にも自分をだましていることになります。

マルセイユタロットの教えによれば、私たちの認識不足、認知が曇らされているために、この現実への認識も、真実の姿ではなく、仮想的なものとして、真実の投影空間のように体験していると示唆しています。

このことを、「牢獄に入っている(囚われている)人間の状態」と例えられることもあります。

それなのに、さらに偽物(影)をモデルにして、そのまた偽物を作って楽しむというのがバーチャル世界です。

言わば、牢獄の中にさらに牢獄を作るようなものです。

マルセイユタロットの教えでは、私たちが霊的(な覚醒)に重要なのは、この牢獄状態から抜け出すことにあると語られますが、人類は、バーチャル世界の発達により、ますます牢獄ライフを加速させようとしています。

私から見れば、バーチャル世界は、牢獄ライフからのさらなる逃避(麻痺の加速)であり、真実から遠ざけるものと映ります。

自分でイメージを喚起して、思索を象徴的に高度に進めていくのとは逆で、バーチャルはイメージによる創造・思索を放棄し、私たちを一層、奴隷にしてしまう世界(装置)だと言えます。

ほかに、アニメーションもイメージ・二次元の世界ですが、この世界に入りたいという人や、どっぷり二次元に浸かってしまって、二次元キャラしか愛せないというのは、逆にイメージに囚われ、バーチャル世界に反応的・奴隷的になっているのと同じと言えます。

アニメの描くイメージとストーリーの世界から、思索を深め、感性を高め、創造性を刺激し、プラトン的に言えばイデアに接することが大切なのです。

ただ、何事も悪いことばかりでありません。バーチャル世界においても、よいことはあるでしょう。

例えば、バーチャル世界の擬似的環境の体験によって、ストレスの軽減、ちょっとした心の解放、心理的なセラピー、ホルモンバランスや脳内物質の調整などのために、使える余地は残されていると思います。

ただあくまで、一時的なものであり、ずっと使い続けたり、その世界に浸りすぎたりするのは、霊的な退行と言えるものを自分にひどくもたらせてしまうのではないかと危惧されます。

(マルセイユ)タロット的な言い方をすれば、自分が悪魔のエネルギーに取り込まれ、エゴの肥大と、自我(提示の自分)と自己(高次の自分)の分離を激しくさせてしまうと考えられます。

マルセイユタロットの教えには、自分の神性に目覚めるというのがありますが、自分の内に神を見ようとするのと、自分が神であると思うのとではまったく反対ではあるものの、実はプロセスとしては似たようなところもあり(これは説明すると難しいですので、ここでは割愛します)、神性が悪魔にすり替わり、妄想世界の自我に囚われる危険性もあるのです。

そして、ネット世界もバーチャル世界と似たところがあるので、ここも誘惑と堕落の罠に満ちています。

自分に自信がなかったり、現実に嫌気が差していたり、不幸だと思ったりしている人は、自我(エゴ)を一時的に満足させてくれる、ネットにおいてのカリスマ的な人や、そうした人が話す言葉、書く文章、見せる技術に魅了されます。

しかしそれは、ネットにおいて作られた虚像ということもあるのです。

ネットでの虚像がすでに強固に、自分がそれに囚われると、たとえリアルに面会しても、その虚像が自分に生き続けることがあります。

なぜなら、リアル・現実も虚像のひとつ(投影する空間)だからです。

確かにリアルのほうが実像に近くなってくるでしょうが、二重の投影が一重になるだけで、あまり変わらない場合もあるのです。

まあ、それでもそれらも含めて、人生、現実、すべてが味わい、体験だとすれば、いいも悪いもなく、バーチャルでもネットでもすばらしいものと言えます。

もし問題があるとすれば、まったく無自覚な状態にいることであり、提供されるもの、目の前にあるものに、ただ反応しているだけという人生になることでしょうか。

それでも充実した人生だったと思えれば、十分なのかもしれません。

バーチャル世界とは別にして、現実とは何か、どんな価値があるのか、については、いろいろな意見や考え方があるでしょう。

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